2006年8月20日 奈良県大塔村から野迫川村へ!父さんの思い出の場所探し!



旅はココから始まった!
川原樋川と池津川の合流地点

2006年8月20日
奈良県大塔村から野迫川村へ!立里鉱山跡、父さんの思い出の場所探しの旅をしてきたよ


川原樋林道の入り口です。じぃちゃんは、気が急くのか、帽子も杖も忘れて、一人どんどん歩いて行ってしまいました

『父さん!たぶんそっちじゃないと思うよ。立里鉱山は川原樋川沿いじゃなくって池津川のほうやと思うよ。戻ってぇ!』『この道、車で走られへんか?』『この道な、もうちょっと行ったらダート道になるねん。崖っぷちを走るねん。まず734号線沿いを探してわかれへんかったら、こっちを探してみたらいいやん。』


こちらが池津川側、734号線。舗装はしてあったけど、落石&枯れ木多し!陥没2箇所。

川原樋川沿いの林道に未練を残す父を説得し、ゆっくりゆっくり734号線を走ります。鉱山はこっちの方面にしかなかったと思うんだもの。
少し走ったら、立里へ行く山道にかかる橋があるはず。


と、<←立里>の道標が。


少し渡ってみましたが、足元の木はぬるぬる、橋は傾いていて結構揺れる!怖くて、途中で断念しました。


『この橋の向こうに父さんの思う場所があるんかなぁ。』『う〜ん、橋を渡った記憶はないねんけどな。』

『父さん、見覚えのある場所があったら言うてな。』
のろのろのろのろ、人っ子一人いない、車さえこない、村ひとつない、そんな中をあたりの景色に注意しながら進みます。やがて車は池津川の集落へ。


池津川小学校
廃校になっていました。いつ頃まで子供達の笑い声が響いていたのでしょう?

『人を探そっ!聞いてみよっ!』
それぞればらばらになって村の人を探しました。
ここまで少し車から降りたりもしたものの、大好きな川を一杯見ながらのドライブで遊びたいのを我慢してきたマリンは、大喜び!
『着いたのぉ?』


学校の隣には広場が


元気に駆け出すマリンです


『ねぇ、川があるよぉ!』


『どこか降りれる場所はないかなぁ。』


民家の前に階段を見つけ、マリンはトントンと川の中へ!


『うふふ、楽しいわぁ』
楽しそうに遊ぶマリンを見るおじさんに気がついて、『立里鉱山をご存知ありませんか?』


『あぁ、あったなぁ。』とおじさん。
『ご存知なんですねっ!』

『映画? あったなぁ。毎月10日。その日は給料日やねん。映画は夜にあったよ。おっちゃんの頃はながおかさんっていう人が来てはった。毎月観に行ってたで。鉱山も多いときには200人くらいおって賑やかやったでぇ。当時はな、村には電気はまだのうて、鉱山にだけあったんや。鉱山の跡はな、もう山に戻ってしもぅたで。』


遠くを見るような目でニコニコ昔のことをゆっくり話してくださるおじさんと


嬉しそうにジャブジャブ遊ぶマリンとを交互に見ながらゆったりとした時間が流れました

『鉱山跡に行きたいんやったら、来た道を戻ったらええ。4kmくらい行ったら平地があって松が群生しているとこがあるから。そこがそうやから。すぐわかるはずや。もうそこに鉱山があったやなんて、全然わかれへんようになってるけどな。』


『じぃちゃんの思い出の場所、わかったんだね。よかったね。行ってみよー!』


紫園。ここにもかつて鉱山があったはず。


その名残を探そうと生い茂る木の中に潜ってみましたが、何もわかりませんでした。

池津川から紫園を経て、見つかったよぉ!<平地があって、松の群生があって>。ここだねっ!ここがじぃちゃんの探していた懐かしい場所、思い出の場所だね。


平地の部分。背丈ほどの草に覆われていたけれど、道路沿いに排水溝があって、確かにかつてそこに広場があったことを表していました。

かつて立里鉱山があったであろう場所に降り立った父は、一人景色を眺めながらゆっくりと歩いていました。父はこの草と木と、緑一杯の景色の中に、かつての賑わう鉱山の姿を見ることができたのでしょうか。その風景はどんなだったのでしょうね。


鉱山を見たことがない私にはここにかつて栄えた鉱山の姿を思い描くことはできなかったけれど、このあたりが立里鉱山だったはず。


さて、マリンにご褒美だよっ! 帰りに大塔村・篠原・舟ノ川で川遊び!


お魚さぁん! 毎度のマリンです。


流れの速いところがあって遊ぶ場所は限られたけど、お水はとっても綺麗だったよ。


スイスイスイ〜!

とってもいい子に父の思い出の場所探しに付き合ってくれたマリン。今日のコースは川沿いばかりだったので、実は『降りるぅ!遊ぶぅ!』と大騒ぎしている時もありました。いつものお出かけと違って、車から降りたと思ったらまたすぐに乗って・・・ということが多かったし、ちょっとつまらなかったかな。ほんの30分程の川遊びだったけど、これで許してね。


舟ノ川のお水はとっても綺麗でした。けれど川原は石だらけで、捻挫した私の足にはきつかったぁ!流れは結構速かったよ。穏やかな所を探して遊びました。

父の思い出の場所、野迫川村・立里鉱山跡。やっとたどり着くことができました。そこにはもう昔の姿はなく、緑一面の山に戻っていましたが、父は大満足だったようです。
『映画を楽しみにしてくれたはったことがわかったし、あの頃の事をよぉ覚えていてくれはったし、嬉しかった。イイ人に出会えてよかった。姿が変わってしもたのは、もう50年もたったんやから当然やな。これで満足や。』
うんうん、素敵な出会いに恵まれた良い旅になったね。


帰りにまわり道をして天川村を走ったせいもあって、西吉野村に入った頃には日暮れ前。
途中のドライブインで晩ご飯を食べて帰ることに。マリンも一緒にテラス席へ。いい子に出来たよ。食事中はテーブルの下、私の足元でずぅっとふせていました。

去年、今年と2年にわたった父の思い出の場所探しの旅は終わりました。けれど、今度は私に素晴らしい思い出の場所が生まれたように思います。
池津川の風景、そこで出会った村のおじさんたち。。。お話を伺っていたら、そこに昔の、月に1度の映画を楽しみにしている元気で素朴な子供達のはしゃぐ姿が見えるようで・・・。
いつかもう1度訪れてみたい。そしてお礼が言いたいです。
ありがとー!父さんね、思い出の場所にたどり着けました!