最初に・・・
今回の台風12号によって大切な思い出深い場所が土砂と泥水にまみれてしまった。
奈良県五條市大塔〜十津川。
テレビの映像に痛ましい風景が広がる。
辻堂、宇井、懐かしい地名が聞こえる。
あのあたり一帯が土砂崩れと大量の雨水によってめちゃくちゃになった。
私は3度あの道を走った。
今はあちこちで道路が寸断されて通行もままならないというあの道。
2005年、初めて訪れた時にも宇井のあたりは土砂崩れでもともとの道路は通れなくて迂回路を走った。
翌年もまだ工事中で迂回路。最後に訪れた時(十津川に遊びに行った)もまだ工事中だった。
急峻な山に囲まれた谷底を川が流れその隣に山肌に沿って道路が通る。
そんなところだ。
私たちはその道をじぃちゃんの思い出の場所を探すために走った。
野迫川村立里にある立里鉱山跡を探していた。
最初の年は立里までは行ったものの鉱山跡が見つけられなかった。
翌年再度トライした。
辻堂を通り宇井を抜け、大塔のあたりで十津川へ行く道とは別に赤谷キャンプ場を見下ろしながら和歌山方面に行く道がある。
未舗装で注意していないと車の底を擦ってしまいそうなぼこぼこの道を思い出の場所を探して走った。
池津川の集落にたどり着いたところで、「ここまで来たら行きすぎのはず。」と車を降りて人に聞いてみることにした。
全部で10軒もなかったと思う。門戸を叩いて話を聞いた。
そして見つけた。
かつてその方が子供だった頃、若かりしじぃちゃんが月に1度鉱山で上映する映画を楽しみに真っ暗な山道を鉱山までワクワクしながら歩いたという人を。
その方のおかげでかつて鉱山があった場所、今は背丈ほどの草が生い茂るその場所を見つけることが出来た。
真夏の暑い時だったのに、私の記憶の中であのあたりの風景は優しい光とさやさやと吹く風と濃い緑と清らかな水と・・・爽やかな印象しかない。
本当に美しいところだった。
帰りには必ずマリンがじゃぶじゃぶ遊べそうな川を探して車を走らせ川遊びのひと時を楽しんだ。
その川が今は濁流となって下流へと向かい尊い命を奪い平和だった人たちの生活を押し流している。
池津川の集落の人はご無事だろうか。
道路が寸断されてしまってお困りではないだろうか。
突然訪れ、半世紀前のお話を聞いて歩いていた私たちを怪しげな目で見ることもなく親切にしていただいた。
私たち家族にとって、あのあたりはとても大切な思い出の場所。
じぃちゃんは今でも時々立里を訪れた時の話を始め、話し出すと止まらなくなる。
もうマリンはいなくなってしまって、じぃちゃんはふらふらでとてもあそこまで車であっても行くことは無理だと思う。
2度と足を運ぶことはないだろう。
大切な思い出の場所・・・テレビの映像は悲しすぎてたまらない。
きらきら輝いていた優しい風景を今も思う。
じぃちゃんの笑顔があった、マリンの笑顔もあった、ばぁちゃんも楽しそうだった。
和歌山県田辺にも遊びに行った。動鳴気渓、奇絶峡。
南紀旅行の際、那智勝浦、新宮・・・車を走らせた。大門坂を歩き那智大社にもお参りした。
雨になってしまったので車を止めることはなかったけれど、延々と熊野川沿いの道を走った。
その風景は壮大でその流れは怖いくらいに美しかった。
今回の台風で被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。
☆☆☆ ☆☆☆
9月1日、紋次郎ママさんから元気をもらえそうなお花籠をいただいた。
紋次郎ママさん、紋ママ! ありがとう。
それから、はなこちゃんのことを知らせてくれてありがとう。
そして今日9月6日、YOKOさんからもお花籠をいただいた。
とっても清楚で優しいお花。YOKOさん、ありがとう。
鶴見緑地で集合した日から何年が過ぎたのかな。
元気いっぱいで紋次郎くんに一目ぼれしたマリンだったけれど、お空に昇ってしまいました。
YOKOさんちのはなこちゃんも昨年11月にお空に旅立ったのだそうだ。
あの日はみんな元気だったのに・・・。
心はあの日のままなのに・・・。
月日のたつのは早く、時に残酷。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンと暮らした15年・・・
決して平坦な道ばっかりだったわけではない。
若いころのマリンは自我や自己主張の強い子だった。
いろんなことがあって何度叱ったことか。マリンはワンワンと口答えする。
繰り返し言い聞かせようとしたら顔をそむけて私を見ようとしない。
「マリン、私を見て!」顔をつかんでこっちを向かせ何度も何度も話をした。
ムーが亡くなりチコが亡くなるととたんにそんな強情さがマリンから消えた。
相変わらずお転婆だったけれど、はち切れそうな笑顔が可愛い素直な子になった。
マリンは寂しかったんだ。
3人娘の末っ子で、私の腕は2本しかなくて、なかなか届かない手が寂しかったんだ。
ムーの闘病は3カ月、チコは半年・・・自分を見てほしくてかまってほしくて一生懸命訴えていたんだ。
マリン、ごめんね。でも仕方ないことなんだよ。
みんな家族だから。老いて病気になったムーやチコを優先するのは仕方ないことだったのだ。
マリンは一人っ子でいいね。
これからはマリンだけを見るようにするから。
今まで寂しい思いをさせた分、これからはマリンだけ。
一緒に楽しいことをいっぱい経験しようね。
マリンは本当に優しい子になった。
けれどもその後は人が病気になった。
じぃちゃんのたび重なる長期入院。
肺炎に心不全に認知症に糖尿病。(マリンが亡くなって後この8月には腎不全も併発した)
そして去年にはばぁちゃんの入院、妹の入院。
やっぱりマリンはいっぱい我慢しないといけなかった。
寂しい思いもしたと思う。心配もかけたと思う。
けれど今度のマリンは我慢できた。健気に家族の一員としてそんな危機を乗り越えてくれた。
山あり谷あり・・・笑顔で一緒に乗り越えた。
そんないろんな歴史を経て絆は日に日に深いものになっていった。
私はマリンを気遣い、「ごめんね、ごめんね」と何度も思った。
長い長いお留守番。時には深夜まで、時には病院泊まりの朝帰り・・・
マリンはいつも笑顔で「おかえりなさいっ! 遅いよぉ! 心配したんだからぁ!」ってワンワンワンワン!
尻尾ブンブンで出迎えてくれた。
「マリン、ごめんね。我慢ばっかりさせてごめんね。」
マリンはいつも「全然大丈夫! マリンはダイジョブだよ」って笑ってくれて
「でも、やっぱり一緒が一番だねっ!」ってとびきりの笑顔で私に寄り添った。
ひとつ大きな波を超えるたびに「寂しい思いをさせた分、これからは楽しい思いをいっぱいさせてあげよう」と思った。
何度も波は襲って来たけれど、そのたびに一緒に乗り越え、一緒に穏やかな日を迎え送った。
楽しいこともいっぱいあった。
けど、辛いこと大変なことも結構あった。
どんな時にもマリンは私の隣にいてくれた。
マリンはいつも笑顔だった。
そんな15年だった。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンは雑種。
どんな血筋を引いてこの世に生を受けたのかわからない。
純血種なら「好きなこと」を想像できたりすることもあるけれど、マリンの場合何もわからない。
マリンの日常を見ながら「マリンの好きなこと」をひとつ、またひとつ見つけていった。
まだ前栽の段差を自分で乗り越えることもできないくらい小さい時
庭掃除をしていたら竹箒にじゃれついてじゃれついて大喜びだった。
「えいっ!えいっ!」って掃いているのに箒を抑え込むものだから全然掃除がはかどらない。
それよりマリンの一生懸命な動きが面白くって大爆笑だった。
動くものを追いかけるのが大好きみたい。
そのうちマリンはお庭でトカゲを追いかけたり蝉を捕まえたり自分で<楽し>を発見した。
けどなぜか・・・バッタを追いかけるのはあんまり好きじゃなかったな。
5歳までのマリンはチコ、ムーがいたので遠出のお出かけは無理だった。
マリンのお出かけと言ったらもっぱら近くのお山だった。
マリンは大喜びでけもの道を走り回った。
その後13歳くらいまでマリンは近くのお山を楽しんだ。
リードを持って後ろを行く私は四つん這いでクモの巣まみれ!
タヌキさんを見つけたり、雉さんを見つけたり
そのたびに大興奮!
リードで引っ張られて先に進めないとキャンキャン騒いだ。
「あそこにいるのにぃ!あそこに行きたいのにぃ!」
何時間でもお山の中を登ったり下ったり縦横無尽に走り回るので
「マリン、このままじゃ遭難しちゃうよ。ここはどこなん???」
私は自分の居場所がわからなくなってしまって「地元で遭難なんてとんでもない!」とあせったりもしたけど
マリンはちゃんとわかっていて、マリンについて行ったらいつも山道に戻ることができた。
「マリンってすごい!」そう思った。
軽トラックがお山に向かって登ったら、車の中ではワンワンワンワンの独唱会!
「行くよぉ!行くよぉ!マリンがお山に行くよぉ!」
お山大好きマリンだね。
そんなマリンを<野性児マリン>。
私はそう呼んだ。
おもちゃやぬいぐるみより軍手やタオルや・・・
人が身に着けていたもので遊ぶ方が好きなこともわかった。
庭掃除するその手先から軍手を奪って「とったぁ!」って大喜びで庭を走り回る。
「返してほしかったらここまでおいで!」
茶目っけたっぷりでかわいいけれど・・・仕事ははかどらない。
知らん顔して掃除を続けていたら、背中にジャーンプ!
「おかぁさん、かまってよぉ!」
お山の小川でカエルさんを追いかけてじゃぶじゃぶ、小川の中を走り回るマリンを見て
「マリンはお水が怖くないんだな。もしかして川遊びが好きかもね。」
そう思ってある夏、奈良県吉野の高見川に連れていってみた。
マリンは臆することなく川に入って行ってすぐに尻尾ブンブンで小魚を追いかけてじゃぶじゃぶ川の中を走りだした。
走っているうち川が深くなっていって足が届かなくなった。
「おっ!?どうする!?」と思ったら、普通に自然に水中で手足を動かしスイスイと泳ぎだした。
まったく自然に・・・。走っているのと同じ感覚で。
「マリン、泳いでるっ!」
じぃちゃんもばぁちゃんも私も、あまりに普通に泳ぎだしたので驚いて感動して・・・
「誰にも教えてもらってないのにちゃんと犬かきしてるよ〜!」
ゴールデンなど水遊びが好きな犬種でも初めてお水に入ったときはバタバタ暴れて溺れているかのように水しぶきをたてる子が多いのに
マリンは全くそんなことなく、最初からスイスイスイマーだった。
5時間たっぷり川で遊んでも、帰り支度をしている間に隙を見つけてまた河川敷に降りてしまって「もっと遊びたい〜!」
マリンの<最高に楽し!>を発見できてとっても嬉しい日となった。
けど・・・「じゃぁ、海は?」と思って海に行ったら・・・
波を怖がり尻込みしてしまってぜーんぜんダメだった。
海はマリンの<楽し>じゃなかった。
湖は<?>で、青蓮寺湖や余呉湖ではマリンは気持ちよさそうに泳ぐのに、琵琶湖ではやっぱり波が怖くて入れなかった。
マリンの<楽し>はフクザツなんです。
そんな風にマリンの<楽し>をひとつひとつ見つけて行くのはとっても楽しいことだった。
☆☆☆ ☆☆☆
何度も書いているけれど、私はマリンに今まで暮らしたワンたちにしてあげられなかったことをすべてしてあげようと頑張ってきた。
自分の年齢や時代の違いもあって、かつて私と暮らしてきたワンには今から思えば本当に何もしてあげられなかった。
その分、全部全部マリンにしてあげようと思っていた。
いろいろいーっぱい経験させてあげてマリンの<楽し>をたくさん見つけて、最高の生涯を送らせてあげたいと思っていた。
いつか見送らねばならない日、持てないくらいたくさんの思い出を持たせてあげようと思っていた。
けれどもマリンの<楽し>に人(家族の)が合わせたわけじゃない。
人にもマリンに合わせているという感覚はなかったし、マリンにも人に合わせているという感覚はなかったと思う。
一緒が基本で一緒は当たり前で、していることは違ってもなんでも一緒に楽しんでいたと思う。
マリンが川遊びが好きだとわかって頻繁に川に行くようになると、じぃちゃんは昔使っていた釣り竿を物置から引っ張りだしてきた。
平日にばぁちゃんと二人で釣り具屋さんに行って足りないものを買ってきて気が付いたら魚釣りの準備が整っていた。
マリンが川でお魚を追いかけている間、じぃちゃんは50年ぶりに釣りを楽しんだ。
ばぁちゃんも「魚釣りをしてみたい」とじぃちゃんと一緒に釣りをした。
生まれて初めての魚釣り。
釣れたのは小さな川ムツだったけれど、ばぁちゃんは「釣れた!釣れた!」って大騒ぎだった。
釣りをしない時のばぁちゃんはマリンのそばでひざ上まで川に入って
「この年になってこんなことができるなんて」と「気持ちいいわぁ」って笑っていた。
私はマリンと一緒にお魚さんを追いかけた。
「マリン!こっちこっち!」「え?どこどこぉ?」
真剣そのもののマリンのお顔を見ていると本当に楽しかった。
していることは違っても人もマリンも一緒に川遊びをしてたんだよね。
散々遊んだ帰りには必ずと言っていいほどお買い物に立ち寄った。
じぃちゃんとばぁちゃんがその地その地の名産品を物色してお買いものするのを楽しみにしていたから。
たいていの場合マリンはお店の中には入れない。
たま〜に個人商店だったら「ワンちゃんも一緒にどうぞ」と言ってもらえることもあって
そんな時のマリンは品定めする私の足元で<いっちょまえ>の顔をしていて、それがまたかわいかった。
ワンNGだとマリンはお外で誰かと待つ。
お店の外でドア越しにお買いものするじぃちゃんやばぁちゃんを見つめるマリンは
「マリンも一緒にお買いものがしたい」って言ってるみたいだった。
お店の前のベンチに座る家族の足元でじっとフセして待つのが普通で
そんな時はたくさんの人に声をかけていただいた。
買い物袋を片手に出てきたばぁちゃんに「ねぇねぇ、何を買って来たの?マリンの分も買ってきてくれた?」
フンフンフン・・・買い物袋の中身をチェックするマリンもかわいかった。
ソフトクリームなんて持っていようものなら、尻尾ブンブンで大喜びだった。
お買い物が済むのを待つマリンに「人に合わせている・付き合っている」という感覚はなかったと思う。
私たち人間に「マリンに合わせている・付き合っている」という感覚がなかったのと同じで一緒に楽しんでいたと思う。
どこに行っても何をしていても、お互いがお互いを尊重し、<楽し>の時間を一緒に過ごしていた。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンとは本当によく一緒にお出かけした。
けれどマリンのお出かけデビューは結構遅かったのだ。
なぜなら先住犬のチコが車酔いの激しい子だったので、チコ存命中はお出かけを楽しむことができなかったから。
チコが車でお出かけできないことが残念だった私はマリンを家族に迎えてすぐのころからマリンを車に慣らせようとちょくちょく車に乗せていた。
最初はお庭で。
お散歩デビューもしないうちから運転する私の膝の上にちっちゃなちっちゃなマリンを乗せてお庭を行ったり来たり。
そのうち助手席にリードでくくりつけてご近所をぐるり。
次にスピードを出しても大丈夫かどうか、外環状線を大和川まで往復したりもした。
いつしかマリンを乗せて車で走るなんてまったく普通なことになってしまったけれど最初のうちはいつもドキドキひやひやだった。
ちょっとマリンが動いただけで左手はマリンへ、足はブレーキへと動いていた。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンとお出かけするようになって我が家のライフスタイルは大きく変わった。
週末になるとほぼ毎週あちこちお出かけするようになったのだ。
お出かけするようになったのにはワケがある。
ご近所散歩だと全然喜ばないマリンがお出かけ先だと先頭を切ってルンルンと楽しそうに歩くのだ。
マリンの嬉しそうな楽しそうなお顔が見たくて、どんどんお出かけの日が増えていった。
あちこち行ってみてマリンの好きなところがよくわかった。
きれいに整備された公園は好みじゃない。
野性味あふれる自然豊かな場所の方が喜んだ。
そしてついには旅行にも行くようになった。
初めてのお泊り旅行は伊勢志摩だった。
マリンが問題なくお泊りをこなしたことが嬉しかった。
もともと我が家は自営業で日曜日しかお休みがなかったので私には子供のころから家族で遊びに出かけた思い出がほとんどない。
旅行なんて夢のまた夢。
小学生のころは夏休みが終わって友達が遊びに連れて行ってもらった話なんかを聞くとうらやましくてならなかった。
ばぁちゃんもずっと言っていた。
「廃業したら旅行をいっぱいしてみたい。」
だけれど、じぃちゃんが出不精で・・・
望むほどには実現できていなかった。
それが変わった!
マリンがいなかったら、いい年をした親子が毎週一緒に遊びに出かけたり年に何度も旅行に行ったりなんてなかっただろう。
ばぁちゃんはいつも言う。
「マリンのおかげで夢がかなった。いろんなところにいっぱい行けた。」
私は私で
「マリンのおかげで少しは親孝行ができたかな。」
じぃちゃんは・・・何を考えているんだか?
家族に対して感謝の言葉は一切言わない、家族をほめることは一切しない人なのでわからない。
でもマリンを連れていると知らない人がいっぱい話しかけてくださるのでおしゃべり大好きなじぃちゃんはそれがとっても嬉しそうだった。
じぃちゃんだけだと話しかけても「そうですね」とか一言だけで立ち去られてしまうのにマリンがいたら向こうから話しかけてくださって、お話がはずむんだもんね。
それと食べ物!
食いしん坊のじぃちゃんはお出かけ先で名産品ランチを食べるのがすごーく好きで、今もじぃちゃんが「楽しかった!あそこは良かった!もう1回行きたい。」って言うのはおいしいランチに出会えた場所が多い。
みんなみんなマリンのおかげで楽しい思い出がいっぱいできた。
マリンは孝行娘だね。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンと共に目覚め、マリンと共に眠る。
いつの頃からか、マリンが自分でそう決めて一緒に離れにある私の部屋で眠るようになった。
寒い時期、マリンはベッドにピョンと飛び乗って私の頭の横あたりで眠る。
それ以外の季節はフローリングの床の上、気温に合わせて好きな場所に横になる。
寒い時期、隣で眠るマリンのおなかに腕をまわし、マリンの寝息を聞きながら眠るのは至福の時間だった。
朝、マリンが目覚めて動き出した気配で私は目を覚ます。
わざと気付かないふりをしていたら、マリンはベッドの上に顎を乗せる。
尻尾のブンブン揺れる音がする。
それでも知らん顔をしていたらお手手でちょんちょん! 私の顔をつつく。
結構爪が痛いんだよね。
それで「あれぇ?マリン、起きてたん? おはよー!」って言うとワンワン!ワンワン!
「おかぁさんはお寝坊さんだね。もう朝だよぉ!」
夜、マリンは私がお風呂から出て離れに移動するのを寝そべって待つ。
「お待たせ、マリン。ねんね、行こか。」って言うとピョンっと起き上がる。
一緒に離れに移動する。
たまに遅くまでパソコンに向かっている夜がある。
待ちくたびれたマリンが起き上がり私の足元にやってきてお手手でちょんちょん! 私の太ももを叩く。
「ごめんごめん。」すぐにやめたら尻尾ぶんぶんなんだけれど、「もうちょっと待ってて。」って言うとふぅ〜!とため息をついて私の足元に横になる。
パソコンを閉じる音を覚えていて、その音で立ち上がりワンワン!「終わった?ねんね、行こ。」
幸せな毎日の習慣だった。
けど私は知っていた。
この幸せはずっとずっと永遠に続くものではないことを。
だから「幸せだなぁ」って思う反面で、いつも心のどこかでおびえていた。
怖くて不安で「マリンは絶対に死んだらあかんよ。ずっとずっと一緒にいてね。」
毎晩のようにマリンにそう言って眠りについた。
夜中に目を覚まして急に不安になってマリンの寝息を確かめた夜もある。
「おなか、動いているよね?」って暗闇の中で目を凝らしたこともある。
たまにマリンが寝坊した朝なんて、ぎょっとしたものだった。
すぅすぅというマリンの寝息は幸せの象徴だった。
おびえていた現実は突然襲ってきた。
あの朝もいつもと同じにマリンに起こしてもらった。
いつもと同じ、何も変わらなかった。
なのに、夜「ねんね、行こか。」って一緒に離れに行けなかった。
母屋の一部屋で冷たくなったマリンの隣でマリンのあんよを握りしめて眠った。
あの朝のことを思うと、今でも胸がざわざわして身体が震える。
やっぱり辛い。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンの葬儀についてじぃちゃんと揉めた。
けれど妹が頑張ってくれた。
「マリンはお姉ちゃんの子なんやからお姉ちゃんの思うようにしたらいい。お父ちゃんには私が言うたる!」
妹があれやこれや・・・じぃちゃんにもばぁちゃんにも私の代わりに言ってくれたおかげで滞りなく済ませることができた。
「お姉ちゃんの気の済むように。何日でもマリンちゃんを手元に置いておいたらいいよ。」
妹が言った。
ポコは亡くなった翌日に埋葬した。
妹はもっともっとポコを抱いていたかったのに、みんなの仕事の都合や何やらで叶わなかったのだ。
だから・・・私には同じ後悔をしないように、と言ってくれた。
マリンを何日手元におくか・・・
TOMO姉はTOMOちゃんを1週間手元においたそうだ。
1週間・・・マリンが亡くなった頃は暑かった。大丈夫なのかな。
葬儀屋さんに聞いてみた。
「ドライアイスを入れても3日持たせるのは難しい暑さです。」と言われた。
手元にはできるだけ長くおいておきたい。
けれど痛んでいくマリンをみんなに見せたくない。かわいいマリンはかわいいままで送りたい。
3日・・・。ぎりぎりかな? 翌々日の午後荼毘にふすことにした。
マリンは突然亡くなった。
何の準備もできていなくて、何の知識もなくて、いきなりドライアイスの手配で手間取った。
最初なかなか手に入らなかったこともあって、見つけた時には大量買い。
おかげであまるほどの量になった。
ドライアイスのベッドに眠らされたマリンは全く痛むことがなかった。
ほとんどマリンのそばにいたけれど、かわいいマリンは翌日になってもかわいいままで痛んでいく様子はなかった。
「毎日ドライアイスを補充していったらこのままマリンをずっと手元においておけるかも。」
ふと、そう思った。
息をしていなくても呼びかけに答えてくれなくても、「マリンはただ眠っているだけ」そう思えるような気がした。
だけど・・・マリンは喜ぶんだろうか。
やっぱりできなかった。
冷たいベッドにずっといるなんて、きっとマリンは嫌だったと思う。
ずっと以前会社の同僚が愛犬を亡くした時、「剥製にして手元においておきたかった。」と言った。
「そりゃあかんやろ。」って私は答えたんだけど、その同僚の気持ちがちょっとわかった気がした。
☆☆☆ ☆☆☆
昨年暮れ近くにホームベーカリー(HB)を買った。
マリンはすぐにHBが何をするものなのかを理解した。
私がパンを焼く準備を始めるとそわそわとHBの周りで落ち着かない。
芳しいパンの焼けるニオイが漂い始めるとHBのそばに行って寝そべって待ったりもしていた。
焼きあがったら私の後ろをついて歩いてワンワン!ワンワン!
「できたぁ!できたぁ! 一口ちょうだい!」
なのでHBを買ってからはわんこパンもちょくちょく焼いた。
発酵までHBで済ませてオーブンで焼くんだけれどね。
マリンのパンは1個が小さい。
一度にたくさんできるので冷凍庫に入れておいて、毎朝少しずつ私が朝食のパンを食べるときにあげていた。
人用のパンと違ってお塩は入っていないしバターもほんの少ししか使わないので人が食べると物足りない味なんだけれどマリンは大喜びだった。
よもぎのパン、ムラサキイモのパン、大麦若葉のパン・・・
パン作りは楽しくて、マリンの期待に答えたくって、忙しい時もなんとか時間を取ってパンを切らさないようにしていた。
マリンのための御飯作り、お菓子作り、1度も面倒だと思ったことはない。
毎日夕方になると「今夜のマリンの御飯は何にしようかな。」と考えウキウキした。
会社帰りに立ち寄るスーパーマーケット、お買いもの。
楽しかった。
珍しい食材を見つけたら、なんだかとっても嬉しくなった。
今は・・・スーパーマーケットに行ってもつまらない。
☆☆☆ ☆☆☆
今年の初め、仕事を辞めた。
もともと遅くてもマリンの介護が必要になったら仕事は辞めるつもりだったのだけれど、それより早く元気なうちに辞めてマリンとのんびり過ごしたい気持ちもあったので会社都合の退職だったけれど、「ちょうどよかった」と思った。
これからの時間を思うと嬉しくてたまらなかった。
老いたりとはいえまだまだ元気なマリン。
今までみたいに頻繁にお出かけできなくていいからたま〜に近畿圏内でぶらりとお出かけしたりして、後はご近所をお散歩する以外はおうちでのんびり過ごそうと思っていた。
実際時間に余裕ができたので、朝夕のお散歩はゆっくりのんびり時計の針を気にしないで楽しめた。
「マリン、私は幸せやね〜。こんな風にマリンとお散歩できるなんて、私は幸せやね。」
この半年間で何度マリンにそう話しかけただろう。
お天気の気持ちいい日はほとんど毎日そう話しかけていた気がする。
私はもともと出不精だし、週に2度ほどのお買いもの、ハローワークに行くこと、畑に収穫に行くこと以外はほぼ1日中マリンと一緒にいた。
幸せだった。
もっともっと・・・せめて1年そんな時間を過ごしたかったと思う。
でも1年過ごせていたら、きっとせめてあと半年、って思ったんだろうな。
わずか半年だったけれど、1日中一緒の毎日が楽しめたのだから良かったんだ、と思わないとだめなんだろな。
☆☆☆ ☆☆☆
ご近所の方が「また犬を飼いはったらどぉ?こんなに庭が広いのにもったいないよ。2匹くらい飼いはったらいい。」
じぃちゃんもばぁちゃんももしかしたら本当はまた犬と暮らしたいのかもしれない。
けれど一切そういうことは言わない。
二人ともわかっているのだ。
もう自分たちには犬のお世話はできないということを。
じぃちゃんはすでに自分のこともままならない。
ばぁちゃんはまだ今は元気だから多少お世話はできるだろうけれど去年は突然入院することになってしまったし、犬の寿命を考えたら最後まで責任を持つのは到底無理。
命の尊さを知っているから、ひとつの命を預かることの責任の重さを知ってるから、何も言わない。
自分ができないのをわかっていて「犬を飼いたい」なんて言わない。
子供もそうだけれど、大人でも・・・
犬も家族の一員というならば安易に考えてはいけないと思う。
ただ・・・マリンが亡くなってわりとすぐの頃ご近所の人がお悔やみを言ってくださった時、じぃちゃんは言った。
「俺はマリンには良ぅしてもろた。あいつはほんまにかわいいやつやった。もう十分。せやからもう犬は要らん。」
ご近所の人に私は返事をしなかった。
黙っていた。
ばぁちゃんが代わりに返事をしてくれた。
「マリンの存在が大きすぎて・・・。思い出がいっぱいすぎて、なかなかそんな気持ちにはなれないですわ。」
するとその方が「忘れますって。犬と暮らし始めたら忘れますって。」
私は忘れたいんじゃないんだけど・・・
マリンのことはすべて、マリンの笑顔も、楽しかったことも、
最後に目の前で死にゆくマリンに何もできなかった自分の無能さも、
亡くした悲しみも苦しみも全部、忘れたいわけでもなければ逃げたいのでもなく頭に叩きこんで忘れないようにしたいのだ。
その命を一番大事にしていたはずの家族が亡くなったらすぐに他のものに目を向けてしまう。
その生と死を正視するのが辛くて、悲しさを受け止めきれず、目をそらしてしまう。
そんな悲しいことってない、と思う。
一番辛いのは死を受け入れないといけなかった愛犬なのだ。
見送った家族よりずっとずっと辛い運命を受け入れたのは亡くなったその子なのだ。
残された家族はちゃんと受け止めてあげないといけない、と思う。
マリンと暮らした15年はぎゅうぎゅうに中身の詰まった15年。
マリンの命は「死んじゃったの?寂しくなったね。じゃぁ次の犬を飼えばいいよ。そしたら忘れられるよ。元気になれるよ。」で済むほど軽い命ではない。
マリンの命の<代わり>はない。
これから私はマリンの軌跡を追う。
ゆっくりと・・・
それが私にできるまず最初の供養だと思ってる。
共に生きた。
今日を信じて明日を疑わず、いろんな試練を乗り越えて固い絆で結ばれて互いを見つめ合いながら時を重ねた。
手と手をつないで、眼と眼を合わせて、共に生きた。
マリンは私の誇り。
マリンと向き合って暮らした自分自身も私の誇り。
マリンと暮らした15年・・・
その感触は表現するのが難しいのだけれど、それには達成感のような充実感のような・・・そんなものがある。
それがあるから、今は現実が悲しくて寂しくても、逃げずに向き合うことで必ず乗り越えられるはずと思う。
それだけのものを、その力を、マリンは私に遺してくれた。
マリンは<嬉し>や<楽し>だけを享受するのじゃなく、
辛いことも全部黙って自然体で受け入れた。
背伸びするわけでもなく、逃げようとするわけでもなく、
降りかかってきたことを当然のように受け入れた。
その15年、マリンのそばには私がいた。家族がいた。
マリンはひとりぽっちじゃなかった。
そんな経験のひとつひとつがマリンの心に寛容さと慈悲深さを培い、
疑うことを知らぬ目を持つ優しい純粋なお顔になったんじゃないのかな。
「いつ見ても笑ってる」そんなマリンになったのではないのかな。
マリンのように、私も全部受け止めようと思ってる。
マリンの死もちゃんと受け止めて受け入れて、これからの人生をその生と死も一緒に暮らして行こうと思ってる。
☆☆☆ ☆☆☆
妹が言った。
「ポコもマリンもいつもいつも笑ってたよね。最後の最後まで笑ってたね。」
ポコは真夜中リビングで中間試験の勉強をしている姪っ子たちや妹のそばでにこにこしているときに失禁し直後泡を吹いてそのまま亡くなった。
マリンは「ごはん、ごはん!」ってワクワクしながら私の後ろを歩いていて突然倒れて亡くなった。
最後の最後まで笑ってた。
本当はしんどかったのかもしれない。
けどそんなそぶりは見せず、最後までニコニコ笑っていた。
私が、妹が、見落としたサインはあったのだと思う。
何か足らなくて、大事な命の灯を消してしまったのだと思う。
その責めは負い続けないといけないと思っているし、
妹はそうやってポコが亡くなってからの時間を何年も送っている。
だけど、最後の最後まで笑顔でいてくれたこと、長く苦しい時間を過ごすことなく旅立って行ったことは
それだけポコもマリンも幸せだったんだとも思えて少し心が軽くなる。
☆☆☆ ☆☆☆
マリンへ
一番悲しいのはマリンだよね。
愛する人を残し、幸せな場所をあとに逝かなければならなかったマリンだよね。
辛い思いをさせて、悲しい思いをさせてごめんね。
守ってあげられなくて本当にごめん。
マリンへ
マリンがそばにいてくれるだけで私は元気になった。
マリンがいるだけで周りの雰囲気が明るくなった。
マリンの笑顔は周りの人を幸せにした。
じぃちゃんもばぁちゃんも私も。
ナオおばちゃんもあやもじゅんも。
みんなマリンが大好きだったよ。
「マリンちゃん、マリンちゃん!」
マリンはいつもみんなの輪の中で笑顔だったね。
そしてみんなも笑ってたね。
マリンも幸せ、私たちもみんな幸せだった。
マリンは私の自慢の娘。
マリンは私の誇りだよ。
私はマリンから人の一生分に値するほどの幸せを貰ったね。
マリン、たくさんの笑顔を、たくさんの幸せを、ありがとう。
マリン、大好き!
いつまでもいつまでも・・・マリン大好き!
この先何があっても、私の心の中のマリンは変わらない。
マリンが終生私に忠誠心を見せてくれたように、私を愛してくれたように。
私も生涯マリンを思い、愛し続ける。
これからも一緒だから。
ずぅっとずぅっと一緒だからね。
いつか必ず迎えにいくから。
その時まで私のそばでふわふわニコニコしていてね。
☆☆☆ ☆☆☆
チューリップの球根を買った。(まだ届いていないけど)
その数700個!
これだけあったら、花壇いっぱいにチューリップを咲かせられる。
ほんの少しだとなかなか切り花にする勇気が出ないものだけれど、これだけあったら惜しげなく切り花にできる。
マリンの周りを飾るため。チコやムーやポコのお墓に供えるため。
もちろんお仏壇にも。
今ほとんど空き状態で放置されている花壇があるので、ひとつはそこを耕して。
もうかちんかちんの土だと思うから大汗をかきそうだけれど。
それでも全部は植えられないと思うのでもう一つ自分でお庭の片隅を片づけて花壇を作る。
土作りから始めて花壇を作って・・・
相変わらずお散歩で歩いたところには行けなくてすっかり歩かなくなってしまったので、
お庭仕事で汗を流すのはいいと思う。
すでに少しずつ始めていて、チーリップの植え付け時期までには完成させようと思っている。
マリンは今おうちの中では普段使っていない仏間の続きの間で過ごしている。
マリンにとってはたまに通り抜けるだけであまりなじみのないお部屋。
最初はいつも眠っていた場所、と思いPC部屋に寝かせていたのだけれど、
たくさんお花をいただいたしお悔やみに来てくださる人もいらしたので、広いお部屋に移動してもらったのだ。
「マリンはここじゃ落ち着かないんじゃないかな」と、四十九日が終わったらPC部屋に戻すつもりだったんだけれど、
その部屋でマリンと静かに縁側の風景を見ながらのんびり過ごす時間が心地よくてそのままにしている。
けどそろそろ・・・お彼岸くらいまでにはPC部屋に戻すつもりなので狭くなってしまうけれど
マリンの周りが寂しくならないように。
春にはお庭で育てたお花でマリンの周りを飾りたいと思ってる。
頑張るぞ!
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最後に・・・
ホームページを始めたきっかけはお友達のぴよちゃんが現在の日記<マリンファミリーのダイアリー>の部分を
自分のサーバー内に作ってくれたことでした。
しばらくしてお友達のまりんママが「自分のホームページを作ったら?」と言ってくださり、
ホームページ作成のノウハウなどまったく持ち合わせていない私のために、時には朝から夕方まで受話器を握りっぱなしで、手とり足とり・・・。
ほんと大変でした。タグの意味もわからない。何にも知らない私でしたから・・・。
悪戦苦闘の末ようやくホームページが完成しスタートを切ります。
けどそれからもまだまだいろいろ大変。
何かあるたび、お友達に助けていただいて今日まで続けることができました。
ぴよちゃん、まりんママ、こーりんさん、ありがとうございました。
チコが縁でお友達になった方、マリンが縁でお友達になった方・・・
お友達が日本中にたくさん。
ネットをしていなければ得られなかったお友達です。
チコがご縁で知り合ったワンたちは皆もう旅立ってしまいました。
マリンが縁を結んでくれたワンたちはすでに旅立ってしまったワンもいれば、今もなお健在なワンもいます。
旅立っていったワンたちは、家族のお迎えをいい子に待っていてね。
今も元気なワンたちには成人式を目指して、幸せな時間をたくさんたくさん積み重ねていってほしいです。
ネット上だけではなく実際にお目にかかれたお友達も結構います。
遠路はるばる大阪にきてくれたお友達、こちらから会いに行ったお友達。
我が家に遊びに来てくれたお友達も。
どんな時もネットでいっぱいお話した後に「はじめまして」という時には全然「はじめまして」の感じがしなくておしゃべりが楽しかったです。
いつかマリンと一緒に会いに行きたい。
そう思いながらとうとう会うことが叶わなかったお友達もいます。
とても残念。
マリンとの日常を綴っていこうと思って始めたホームページ。
日記の更新は今日を最後にします。
(サイト自体はレンタルしているサーバーの期限が来年の春まであるので自然消滅まで多分放っておくと思います)
今日まで本当にありがとうございました。
良いご縁に恵まれ、楽しい時間を送ることができました。
心より感謝申し上げます。
最後に皆さまの未来が優しい光あふれる幸せなものとなりますことをお祈りしています。
愛するワンとの時間が末永く続いていきますように。
最後の最後にマリンからのご挨拶!
下の写真をクリックしてね。
コメントをいただいたお友達、全部拝読しています。お返事せぬままでごめんなさい。
そして、大量の写真、そして長文、最後まで読んでくださりありがとうございました。