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▼2011年 9月 6日 (火)   -- 投稿日:2011/09/06(Tue) 22:46   ... No.[1]

ありがとうございました


最初に・・・


今回の台風12号によって大切な思い出深い場所が土砂と泥水にまみれてしまった。

奈良県五條市大塔〜十津川。

テレビの映像に痛ましい風景が広がる。
辻堂、宇井、懐かしい地名が聞こえる。

あのあたり一帯が土砂崩れと大量の雨水によってめちゃくちゃになった。

私は3度あの道を走った。
今はあちこちで道路が寸断されて通行もままならないというあの道。

2005年、初めて訪れた時にも宇井のあたりは土砂崩れでもともとの道路は通れなくて迂回路を走った。
翌年もまだ工事中で迂回路。最後に訪れた時(十津川に遊びに行った)もまだ工事中だった。

急峻な山に囲まれた谷底を川が流れその隣に山肌に沿って道路が通る。
そんなところだ。

私たちはその道をじぃちゃんの思い出の場所を探すために走った。
野迫川村立里にある立里鉱山跡を探していた。
最初の年は立里までは行ったものの鉱山跡が見つけられなかった。
翌年再度トライした。
辻堂を通り宇井を抜け、大塔のあたりで十津川へ行く道とは別に赤谷キャンプ場を見下ろしながら和歌山方面に行く道がある。
未舗装で注意していないと車の底を擦ってしまいそうなぼこぼこの道を思い出の場所を探して走った。
池津川の集落にたどり着いたところで、「ここまで来たら行きすぎのはず。」と車を降りて人に聞いてみることにした。
全部で10軒もなかったと思う。門戸を叩いて話を聞いた。

そして見つけた。
かつてその方が子供だった頃、若かりしじぃちゃんが月に1度鉱山で上映する映画を楽しみに真っ暗な山道を鉱山までワクワクしながら歩いたという人を。
その方のおかげでかつて鉱山があった場所、今は背丈ほどの草が生い茂るその場所を見つけることが出来た。

真夏の暑い時だったのに、私の記憶の中であのあたりの風景は優しい光とさやさやと吹く風と濃い緑と清らかな水と・・・爽やかな印象しかない。
本当に美しいところだった。

帰りには必ずマリンがじゃぶじゃぶ遊べそうな川を探して車を走らせ川遊びのひと時を楽しんだ。

その川が今は濁流となって下流へと向かい尊い命を奪い平和だった人たちの生活を押し流している。

池津川の集落の人はご無事だろうか。
道路が寸断されてしまってお困りではないだろうか。


突然訪れ、半世紀前のお話を聞いて歩いていた私たちを怪しげな目で見ることもなく親切にしていただいた。

私たち家族にとって、あのあたりはとても大切な思い出の場所。

じぃちゃんは今でも時々立里を訪れた時の話を始め、話し出すと止まらなくなる。

もうマリンはいなくなってしまって、じぃちゃんはふらふらでとてもあそこまで車であっても行くことは無理だと思う。
2度と足を運ぶことはないだろう。

大切な思い出の場所・・・テレビの映像は悲しすぎてたまらない。

きらきら輝いていた優しい風景を今も思う。

じぃちゃんの笑顔があった、マリンの笑顔もあった、ばぁちゃんも楽しそうだった。





和歌山県田辺にも遊びに行った。動鳴気渓、奇絶峡。
南紀旅行の際、那智勝浦、新宮・・・車を走らせた。大門坂を歩き那智大社にもお参りした。
雨になってしまったので車を止めることはなかったけれど、延々と熊野川沿いの道を走った。
その風景は壮大でその流れは怖いくらいに美しかった。


今回の台風で被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。



☆☆☆ ☆☆☆



9月1日、紋次郎ママさんから元気をもらえそうなお花籠をいただいた。





紋次郎ママさん、紋ママ! ありがとう。
それから、はなこちゃんのことを知らせてくれてありがとう。




そして今日9月6日、YOKOさんからもお花籠をいただいた。





とっても清楚で優しいお花。YOKOさん、ありがとう。



鶴見緑地で集合した日から何年が過ぎたのかな。

元気いっぱいで紋次郎くんに一目ぼれしたマリンだったけれど、お空に昇ってしまいました。
YOKOさんちのはなこちゃんも昨年11月にお空に旅立ったのだそうだ。

あの日はみんな元気だったのに・・・。
心はあの日のままなのに・・・。

月日のたつのは早く、時に残酷。







☆☆☆ ☆☆☆




マリンと暮らした15年・・・
決して平坦な道ばっかりだったわけではない。

若いころのマリンは自我や自己主張の強い子だった。
いろんなことがあって何度叱ったことか。マリンはワンワンと口答えする。
繰り返し言い聞かせようとしたら顔をそむけて私を見ようとしない。
「マリン、私を見て!」顔をつかんでこっちを向かせ何度も何度も話をした。

ムーが亡くなりチコが亡くなるととたんにそんな強情さがマリンから消えた。
相変わらずお転婆だったけれど、はち切れそうな笑顔が可愛い素直な子になった。





マリンは寂しかったんだ。
3人娘の末っ子で、私の腕は2本しかなくて、なかなか届かない手が寂しかったんだ。
ムーの闘病は3カ月、チコは半年・・・自分を見てほしくてかまってほしくて一生懸命訴えていたんだ。





マリン、ごめんね。でも仕方ないことなんだよ。
みんな家族だから。老いて病気になったムーやチコを優先するのは仕方ないことだったのだ。





マリンは一人っ子でいいね。
これからはマリンだけを見るようにするから。
今まで寂しい思いをさせた分、これからはマリンだけ。
一緒に楽しいことをいっぱい経験しようね。

マリンは本当に優しい子になった。





けれどもその後は人が病気になった。
じぃちゃんのたび重なる長期入院。
肺炎に心不全に認知症に糖尿病。(マリンが亡くなって後この8月には腎不全も併発した)
そして去年にはばぁちゃんの入院、妹の入院。

やっぱりマリンはいっぱい我慢しないといけなかった。
寂しい思いもしたと思う。心配もかけたと思う。

けれど今度のマリンは我慢できた。健気に家族の一員としてそんな危機を乗り越えてくれた。
山あり谷あり・・・笑顔で一緒に乗り越えた。














そんないろんな歴史を経て絆は日に日に深いものになっていった。

私はマリンを気遣い、「ごめんね、ごめんね」と何度も思った。
長い長いお留守番。時には深夜まで、時には病院泊まりの朝帰り・・・
マリンはいつも笑顔で「おかえりなさいっ! 遅いよぉ! 心配したんだからぁ!」ってワンワンワンワン!
尻尾ブンブンで出迎えてくれた。

「マリン、ごめんね。我慢ばっかりさせてごめんね。」
マリンはいつも「全然大丈夫! マリンはダイジョブだよ」って笑ってくれて
「でも、やっぱり一緒が一番だねっ!」ってとびきりの笑顔で私に寄り添った。

ひとつ大きな波を超えるたびに「寂しい思いをさせた分、これからは楽しい思いをいっぱいさせてあげよう」と思った。
何度も波は襲って来たけれど、そのたびに一緒に乗り越え、一緒に穏やかな日を迎え送った。








楽しいこともいっぱいあった。
けど、辛いこと大変なことも結構あった。

どんな時にもマリンは私の隣にいてくれた。
マリンはいつも笑顔だった。

そんな15年だった。



☆☆☆ ☆☆☆



マリンは雑種。
どんな血筋を引いてこの世に生を受けたのかわからない。
純血種なら「好きなこと」を想像できたりすることもあるけれど、マリンの場合何もわからない。
マリンの日常を見ながら「マリンの好きなこと」をひとつ、またひとつ見つけていった。




まだ前栽の段差を自分で乗り越えることもできないくらい小さい時
庭掃除をしていたら竹箒にじゃれついてじゃれついて大喜びだった。
「えいっ!えいっ!」って掃いているのに箒を抑え込むものだから全然掃除がはかどらない。
それよりマリンの一生懸命な動きが面白くって大爆笑だった。
動くものを追いかけるのが大好きみたい。
そのうちマリンはお庭でトカゲを追いかけたり蝉を捕まえたり自分で<楽し>を発見した。
けどなぜか・・・バッタを追いかけるのはあんまり好きじゃなかったな。











5歳までのマリンはチコ、ムーがいたので遠出のお出かけは無理だった。
マリンのお出かけと言ったらもっぱら近くのお山だった。
マリンは大喜びでけもの道を走り回った。
その後13歳くらいまでマリンは近くのお山を楽しんだ。





リードを持って後ろを行く私は四つん這いでクモの巣まみれ!
タヌキさんを見つけたり、雉さんを見つけたり
そのたびに大興奮!
リードで引っ張られて先に進めないとキャンキャン騒いだ。
「あそこにいるのにぃ!あそこに行きたいのにぃ!」





何時間でもお山の中を登ったり下ったり縦横無尽に走り回るので
「マリン、このままじゃ遭難しちゃうよ。ここはどこなん???」
私は自分の居場所がわからなくなってしまって「地元で遭難なんてとんでもない!」とあせったりもしたけど
マリンはちゃんとわかっていて、マリンについて行ったらいつも山道に戻ることができた。
「マリンってすごい!」そう思った。

軽トラックがお山に向かって登ったら、車の中ではワンワンワンワンの独唱会!
「行くよぉ!行くよぉ!マリンがお山に行くよぉ!」
お山大好きマリンだね。

そんなマリンを<野性児マリン>。
私はそう呼んだ。

おもちゃやぬいぐるみより軍手やタオルや・・・
人が身に着けていたもので遊ぶ方が好きなこともわかった。
庭掃除するその手先から軍手を奪って「とったぁ!」って大喜びで庭を走り回る。
「返してほしかったらここまでおいで!」
茶目っけたっぷりでかわいいけれど・・・仕事ははかどらない。
知らん顔して掃除を続けていたら、背中にジャーンプ!
「おかぁさん、かまってよぉ!」


お山の小川でカエルさんを追いかけてじゃぶじゃぶ、小川の中を走り回るマリンを見て
「マリンはお水が怖くないんだな。もしかして川遊びが好きかもね。」
そう思ってある夏、奈良県吉野の高見川に連れていってみた。
マリンは臆することなく川に入って行ってすぐに尻尾ブンブンで小魚を追いかけてじゃぶじゃぶ川の中を走りだした。
走っているうち川が深くなっていって足が届かなくなった。
「おっ!?どうする!?」と思ったら、普通に自然に水中で手足を動かしスイスイと泳ぎだした。
まったく自然に・・・。走っているのと同じ感覚で。
「マリン、泳いでるっ!」
じぃちゃんもばぁちゃんも私も、あまりに普通に泳ぎだしたので驚いて感動して・・・
「誰にも教えてもらってないのにちゃんと犬かきしてるよ〜!」

ゴールデンなど水遊びが好きな犬種でも初めてお水に入ったときはバタバタ暴れて溺れているかのように水しぶきをたてる子が多いのに
マリンは全くそんなことなく、最初からスイスイスイマーだった。

5時間たっぷり川で遊んでも、帰り支度をしている間に隙を見つけてまた河川敷に降りてしまって「もっと遊びたい〜!」


マリンの<最高に楽し!>を発見できてとっても嬉しい日となった。

けど・・・「じゃぁ、海は?」と思って海に行ったら・・・
波を怖がり尻込みしてしまってぜーんぜんダメだった。
海はマリンの<楽し>じゃなかった。
湖は<?>で、青蓮寺湖や余呉湖ではマリンは気持ちよさそうに泳ぐのに、琵琶湖ではやっぱり波が怖くて入れなかった。
マリンの<楽し>はフクザツなんです。

そんな風にマリンの<楽し>をひとつひとつ見つけて行くのはとっても楽しいことだった。


☆☆☆ ☆☆☆


何度も書いているけれど、私はマリンに今まで暮らしたワンたちにしてあげられなかったことをすべてしてあげようと頑張ってきた。
自分の年齢や時代の違いもあって、かつて私と暮らしてきたワンには今から思えば本当に何もしてあげられなかった。
その分、全部全部マリンにしてあげようと思っていた。
いろいろいーっぱい経験させてあげてマリンの<楽し>をたくさん見つけて、最高の生涯を送らせてあげたいと思っていた。
いつか見送らねばならない日、持てないくらいたくさんの思い出を持たせてあげようと思っていた。

けれどもマリンの<楽し>に人(家族の)が合わせたわけじゃない。
人にもマリンに合わせているという感覚はなかったし、マリンにも人に合わせているという感覚はなかったと思う。
一緒が基本で一緒は当たり前で、していることは違ってもなんでも一緒に楽しんでいたと思う。

マリンが川遊びが好きだとわかって頻繁に川に行くようになると、じぃちゃんは昔使っていた釣り竿を物置から引っ張りだしてきた。
平日にばぁちゃんと二人で釣り具屋さんに行って足りないものを買ってきて気が付いたら魚釣りの準備が整っていた。








マリンが川でお魚を追いかけている間、じぃちゃんは50年ぶりに釣りを楽しんだ。
ばぁちゃんも「魚釣りをしてみたい」とじぃちゃんと一緒に釣りをした。
生まれて初めての魚釣り。
釣れたのは小さな川ムツだったけれど、ばぁちゃんは「釣れた!釣れた!」って大騒ぎだった。
釣りをしない時のばぁちゃんはマリンのそばでひざ上まで川に入って
「この年になってこんなことができるなんて」と「気持ちいいわぁ」って笑っていた。
私はマリンと一緒にお魚さんを追いかけた。
「マリン!こっちこっち!」「え?どこどこぉ?」
真剣そのもののマリンのお顔を見ていると本当に楽しかった。





していることは違っても人もマリンも一緒に川遊びをしてたんだよね。

散々遊んだ帰りには必ずと言っていいほどお買い物に立ち寄った。
じぃちゃんとばぁちゃんがその地その地の名産品を物色してお買いものするのを楽しみにしていたから。
たいていの場合マリンはお店の中には入れない。
たま〜に個人商店だったら「ワンちゃんも一緒にどうぞ」と言ってもらえることもあって
そんな時のマリンは品定めする私の足元で<いっちょまえ>の顔をしていて、それがまたかわいかった。
ワンNGだとマリンはお外で誰かと待つ。





お店の外でドア越しにお買いものするじぃちゃんやばぁちゃんを見つめるマリンは
「マリンも一緒にお買いものがしたい」って言ってるみたいだった。
お店の前のベンチに座る家族の足元でじっとフセして待つのが普通で
そんな時はたくさんの人に声をかけていただいた。
買い物袋を片手に出てきたばぁちゃんに「ねぇねぇ、何を買って来たの?マリンの分も買ってきてくれた?」
フンフンフン・・・買い物袋の中身をチェックするマリンもかわいかった。
ソフトクリームなんて持っていようものなら、尻尾ブンブンで大喜びだった。

お買い物が済むのを待つマリンに「人に合わせている・付き合っている」という感覚はなかったと思う。
私たち人間に「マリンに合わせている・付き合っている」という感覚がなかったのと同じで一緒に楽しんでいたと思う。


どこに行っても何をしていても、お互いがお互いを尊重し、<楽し>の時間を一緒に過ごしていた。















☆☆☆ ☆☆☆



マリンとは本当によく一緒にお出かけした。
けれどマリンのお出かけデビューは結構遅かったのだ。
なぜなら先住犬のチコが車酔いの激しい子だったので、チコ存命中はお出かけを楽しむことができなかったから。

チコが車でお出かけできないことが残念だった私はマリンを家族に迎えてすぐのころからマリンを車に慣らせようとちょくちょく車に乗せていた。
最初はお庭で。
お散歩デビューもしないうちから運転する私の膝の上にちっちゃなちっちゃなマリンを乗せてお庭を行ったり来たり。
そのうち助手席にリードでくくりつけてご近所をぐるり。
次にスピードを出しても大丈夫かどうか、外環状線を大和川まで往復したりもした。
いつしかマリンを乗せて車で走るなんてまったく普通なことになってしまったけれど最初のうちはいつもドキドキひやひやだった。
ちょっとマリンが動いただけで左手はマリンへ、足はブレーキへと動いていた。



☆☆☆ ☆☆☆



マリンとお出かけするようになって我が家のライフスタイルは大きく変わった。
週末になるとほぼ毎週あちこちお出かけするようになったのだ。





お出かけするようになったのにはワケがある。
ご近所散歩だと全然喜ばないマリンがお出かけ先だと先頭を切ってルンルンと楽しそうに歩くのだ。
マリンの嬉しそうな楽しそうなお顔が見たくて、どんどんお出かけの日が増えていった。
あちこち行ってみてマリンの好きなところがよくわかった。
きれいに整備された公園は好みじゃない。
野性味あふれる自然豊かな場所の方が喜んだ。





そしてついには旅行にも行くようになった。
初めてのお泊り旅行は伊勢志摩だった。
マリンが問題なくお泊りをこなしたことが嬉しかった。





もともと我が家は自営業で日曜日しかお休みがなかったので私には子供のころから家族で遊びに出かけた思い出がほとんどない。
旅行なんて夢のまた夢。
小学生のころは夏休みが終わって友達が遊びに連れて行ってもらった話なんかを聞くとうらやましくてならなかった。
ばぁちゃんもずっと言っていた。
「廃業したら旅行をいっぱいしてみたい。」
だけれど、じぃちゃんが出不精で・・・
望むほどには実現できていなかった。

それが変わった!

マリンがいなかったら、いい年をした親子が毎週一緒に遊びに出かけたり年に何度も旅行に行ったりなんてなかっただろう。

ばぁちゃんはいつも言う。
「マリンのおかげで夢がかなった。いろんなところにいっぱい行けた。」





私は私で
「マリンのおかげで少しは親孝行ができたかな。」

じぃちゃんは・・・何を考えているんだか? 
家族に対して感謝の言葉は一切言わない、家族をほめることは一切しない人なのでわからない。
でもマリンを連れていると知らない人がいっぱい話しかけてくださるのでおしゃべり大好きなじぃちゃんはそれがとっても嬉しそうだった。
じぃちゃんだけだと話しかけても「そうですね」とか一言だけで立ち去られてしまうのにマリンがいたら向こうから話しかけてくださって、お話がはずむんだもんね。
それと食べ物! 
食いしん坊のじぃちゃんはお出かけ先で名産品ランチを食べるのがすごーく好きで、今もじぃちゃんが「楽しかった!あそこは良かった!もう1回行きたい。」って言うのはおいしいランチに出会えた場所が多い。





みんなみんなマリンのおかげで楽しい思い出がいっぱいできた。
マリンは孝行娘だね。


☆☆☆ ☆☆☆


マリンと共に目覚め、マリンと共に眠る。





いつの頃からか、マリンが自分でそう決めて一緒に離れにある私の部屋で眠るようになった。

寒い時期、マリンはベッドにピョンと飛び乗って私の頭の横あたりで眠る。
それ以外の季節はフローリングの床の上、気温に合わせて好きな場所に横になる。
寒い時期、隣で眠るマリンのおなかに腕をまわし、マリンの寝息を聞きながら眠るのは至福の時間だった。

朝、マリンが目覚めて動き出した気配で私は目を覚ます。
わざと気付かないふりをしていたら、マリンはベッドの上に顎を乗せる。
尻尾のブンブン揺れる音がする。
それでも知らん顔をしていたらお手手でちょんちょん! 私の顔をつつく。
結構爪が痛いんだよね。
それで「あれぇ?マリン、起きてたん? おはよー!」って言うとワンワン!ワンワン!
「おかぁさんはお寝坊さんだね。もう朝だよぉ!」





夜、マリンは私がお風呂から出て離れに移動するのを寝そべって待つ。
「お待たせ、マリン。ねんね、行こか。」って言うとピョンっと起き上がる。
一緒に離れに移動する。
たまに遅くまでパソコンに向かっている夜がある。
待ちくたびれたマリンが起き上がり私の足元にやってきてお手手でちょんちょん! 私の太ももを叩く。
「ごめんごめん。」すぐにやめたら尻尾ぶんぶんなんだけれど、「もうちょっと待ってて。」って言うとふぅ〜!とため息をついて私の足元に横になる。
パソコンを閉じる音を覚えていて、その音で立ち上がりワンワン!「終わった?ねんね、行こ。」





幸せな毎日の習慣だった。



けど私は知っていた。

この幸せはずっとずっと永遠に続くものではないことを。





だから「幸せだなぁ」って思う反面で、いつも心のどこかでおびえていた。

怖くて不安で「マリンは絶対に死んだらあかんよ。ずっとずっと一緒にいてね。」
毎晩のようにマリンにそう言って眠りについた。

夜中に目を覚まして急に不安になってマリンの寝息を確かめた夜もある。
「おなか、動いているよね?」って暗闇の中で目を凝らしたこともある。
たまにマリンが寝坊した朝なんて、ぎょっとしたものだった。

すぅすぅというマリンの寝息は幸せの象徴だった。





おびえていた現実は突然襲ってきた。

あの朝もいつもと同じにマリンに起こしてもらった。
いつもと同じ、何も変わらなかった。
なのに、夜「ねんね、行こか。」って一緒に離れに行けなかった。
母屋の一部屋で冷たくなったマリンの隣でマリンのあんよを握りしめて眠った。

あの朝のことを思うと、今でも胸がざわざわして身体が震える。
やっぱり辛い。


☆☆☆ ☆☆☆


マリンの葬儀についてじぃちゃんと揉めた。





けれど妹が頑張ってくれた。
「マリンはお姉ちゃんの子なんやからお姉ちゃんの思うようにしたらいい。お父ちゃんには私が言うたる!」
妹があれやこれや・・・じぃちゃんにもばぁちゃんにも私の代わりに言ってくれたおかげで滞りなく済ませることができた。





「お姉ちゃんの気の済むように。何日でもマリンちゃんを手元に置いておいたらいいよ。」
妹が言った。
ポコは亡くなった翌日に埋葬した。
妹はもっともっとポコを抱いていたかったのに、みんなの仕事の都合や何やらで叶わなかったのだ。
だから・・・私には同じ後悔をしないように、と言ってくれた。

マリンを何日手元におくか・・・
TOMO姉はTOMOちゃんを1週間手元においたそうだ。
1週間・・・マリンが亡くなった頃は暑かった。大丈夫なのかな。
葬儀屋さんに聞いてみた。
「ドライアイスを入れても3日持たせるのは難しい暑さです。」と言われた。
手元にはできるだけ長くおいておきたい。
けれど痛んでいくマリンをみんなに見せたくない。かわいいマリンはかわいいままで送りたい。
3日・・・。ぎりぎりかな? 翌々日の午後荼毘にふすことにした。





マリンは突然亡くなった。
何の準備もできていなくて、何の知識もなくて、いきなりドライアイスの手配で手間取った。
最初なかなか手に入らなかったこともあって、見つけた時には大量買い。
おかげであまるほどの量になった。

ドライアイスのベッドに眠らされたマリンは全く痛むことがなかった。
ほとんどマリンのそばにいたけれど、かわいいマリンは翌日になってもかわいいままで痛んでいく様子はなかった。
「毎日ドライアイスを補充していったらこのままマリンをずっと手元においておけるかも。」
ふと、そう思った。
息をしていなくても呼びかけに答えてくれなくても、「マリンはただ眠っているだけ」そう思えるような気がした。





だけど・・・マリンは喜ぶんだろうか。

やっぱりできなかった。
冷たいベッドにずっといるなんて、きっとマリンは嫌だったと思う。

ずっと以前会社の同僚が愛犬を亡くした時、「剥製にして手元においておきたかった。」と言った。
「そりゃあかんやろ。」って私は答えたんだけど、その同僚の気持ちがちょっとわかった気がした。



☆☆☆ ☆☆☆



昨年暮れ近くにホームベーカリー(HB)を買った。

マリンはすぐにHBが何をするものなのかを理解した。
私がパンを焼く準備を始めるとそわそわとHBの周りで落ち着かない。
芳しいパンの焼けるニオイが漂い始めるとHBのそばに行って寝そべって待ったりもしていた。
焼きあがったら私の後ろをついて歩いてワンワン!ワンワン!
「できたぁ!できたぁ! 一口ちょうだい!」





なのでHBを買ってからはわんこパンもちょくちょく焼いた。
発酵までHBで済ませてオーブンで焼くんだけれどね。
マリンのパンは1個が小さい。
一度にたくさんできるので冷凍庫に入れておいて、毎朝少しずつ私が朝食のパンを食べるときにあげていた。
人用のパンと違ってお塩は入っていないしバターもほんの少ししか使わないので人が食べると物足りない味なんだけれどマリンは大喜びだった。
よもぎのパン、ムラサキイモのパン、大麦若葉のパン・・・
パン作りは楽しくて、マリンの期待に答えたくって、忙しい時もなんとか時間を取ってパンを切らさないようにしていた。

マリンのための御飯作り、お菓子作り、1度も面倒だと思ったことはない。

毎日夕方になると「今夜のマリンの御飯は何にしようかな。」と考えウキウキした。
会社帰りに立ち寄るスーパーマーケット、お買いもの。
楽しかった。
珍しい食材を見つけたら、なんだかとっても嬉しくなった。

今は・・・スーパーマーケットに行ってもつまらない。



☆☆☆ ☆☆☆



今年の初め、仕事を辞めた。

もともと遅くてもマリンの介護が必要になったら仕事は辞めるつもりだったのだけれど、それより早く元気なうちに辞めてマリンとのんびり過ごしたい気持ちもあったので会社都合の退職だったけれど、「ちょうどよかった」と思った。
これからの時間を思うと嬉しくてたまらなかった。





老いたりとはいえまだまだ元気なマリン。
今までみたいに頻繁にお出かけできなくていいからたま〜に近畿圏内でぶらりとお出かけしたりして、後はご近所をお散歩する以外はおうちでのんびり過ごそうと思っていた。

実際時間に余裕ができたので、朝夕のお散歩はゆっくりのんびり時計の針を気にしないで楽しめた。





「マリン、私は幸せやね〜。こんな風にマリンとお散歩できるなんて、私は幸せやね。」

この半年間で何度マリンにそう話しかけただろう。
お天気の気持ちいい日はほとんど毎日そう話しかけていた気がする。

私はもともと出不精だし、週に2度ほどのお買いもの、ハローワークに行くこと、畑に収穫に行くこと以外はほぼ1日中マリンと一緒にいた。

幸せだった。

もっともっと・・・せめて1年そんな時間を過ごしたかったと思う。

でも1年過ごせていたら、きっとせめてあと半年、って思ったんだろうな。

わずか半年だったけれど、1日中一緒の毎日が楽しめたのだから良かったんだ、と思わないとだめなんだろな。






☆☆☆ ☆☆☆



ご近所の方が「また犬を飼いはったらどぉ?こんなに庭が広いのにもったいないよ。2匹くらい飼いはったらいい。」

じぃちゃんもばぁちゃんももしかしたら本当はまた犬と暮らしたいのかもしれない。
けれど一切そういうことは言わない。

二人ともわかっているのだ。

もう自分たちには犬のお世話はできないということを。
じぃちゃんはすでに自分のこともままならない。
ばぁちゃんはまだ今は元気だから多少お世話はできるだろうけれど去年は突然入院することになってしまったし、犬の寿命を考えたら最後まで責任を持つのは到底無理。







命の尊さを知っているから、ひとつの命を預かることの責任の重さを知ってるから、何も言わない。
自分ができないのをわかっていて「犬を飼いたい」なんて言わない。

子供もそうだけれど、大人でも・・・
犬も家族の一員というならば安易に考えてはいけないと思う。


ただ・・・マリンが亡くなってわりとすぐの頃ご近所の人がお悔やみを言ってくださった時、じぃちゃんは言った。

「俺はマリンには良ぅしてもろた。あいつはほんまにかわいいやつやった。もう十分。せやからもう犬は要らん。」





ご近所の人に私は返事をしなかった。
黙っていた。
ばぁちゃんが代わりに返事をしてくれた。

「マリンの存在が大きすぎて・・・。思い出がいっぱいすぎて、なかなかそんな気持ちにはなれないですわ。」





するとその方が「忘れますって。犬と暮らし始めたら忘れますって。」

私は忘れたいんじゃないんだけど・・・
マリンのことはすべて、マリンの笑顔も、楽しかったことも、
最後に目の前で死にゆくマリンに何もできなかった自分の無能さも、
亡くした悲しみも苦しみも全部、忘れたいわけでもなければ逃げたいのでもなく頭に叩きこんで忘れないようにしたいのだ。


その命を一番大事にしていたはずの家族が亡くなったらすぐに他のものに目を向けてしまう。
その生と死を正視するのが辛くて、悲しさを受け止めきれず、目をそらしてしまう。
そんな悲しいことってない、と思う。

一番辛いのは死を受け入れないといけなかった愛犬なのだ。
見送った家族よりずっとずっと辛い運命を受け入れたのは亡くなったその子なのだ。

残された家族はちゃんと受け止めてあげないといけない、と思う。






マリンと暮らした15年はぎゅうぎゅうに中身の詰まった15年。

マリンの命は「死んじゃったの?寂しくなったね。じゃぁ次の犬を飼えばいいよ。そしたら忘れられるよ。元気になれるよ。」で済むほど軽い命ではない。

マリンの命の<代わり>はない。


これから私はマリンの軌跡を追う。

ゆっくりと・・・

それが私にできるまず最初の供養だと思ってる。





共に生きた。
今日を信じて明日を疑わず、いろんな試練を乗り越えて固い絆で結ばれて互いを見つめ合いながら時を重ねた。
手と手をつないで、眼と眼を合わせて、共に生きた。








マリンは私の誇り。
マリンと向き合って暮らした自分自身も私の誇り。
マリンと暮らした15年・・・
その感触は表現するのが難しいのだけれど、それには達成感のような充実感のような・・・そんなものがある。
それがあるから、今は現実が悲しくて寂しくても、逃げずに向き合うことで必ず乗り越えられるはずと思う。


それだけのものを、その力を、マリンは私に遺してくれた。





マリンは<嬉し>や<楽し>だけを享受するのじゃなく、
辛いことも全部黙って自然体で受け入れた。
背伸びするわけでもなく、逃げようとするわけでもなく、
降りかかってきたことを当然のように受け入れた。
その15年、マリンのそばには私がいた。家族がいた。
マリンはひとりぽっちじゃなかった。
そんな経験のひとつひとつがマリンの心に寛容さと慈悲深さを培い、
疑うことを知らぬ目を持つ優しい純粋なお顔になったんじゃないのかな。
「いつ見ても笑ってる」そんなマリンになったのではないのかな。

マリンのように、私も全部受け止めようと思ってる。
マリンの死もちゃんと受け止めて受け入れて、これからの人生をその生と死も一緒に暮らして行こうと思ってる。


☆☆☆ ☆☆☆


妹が言った。

「ポコもマリンもいつもいつも笑ってたよね。最後の最後まで笑ってたね。」





ポコは真夜中リビングで中間試験の勉強をしている姪っ子たちや妹のそばでにこにこしているときに失禁し直後泡を吹いてそのまま亡くなった。
マリンは「ごはん、ごはん!」ってワクワクしながら私の後ろを歩いていて突然倒れて亡くなった。

最後の最後まで笑ってた。

本当はしんどかったのかもしれない。

けどそんなそぶりは見せず、最後までニコニコ笑っていた。





私が、妹が、見落としたサインはあったのだと思う。
何か足らなくて、大事な命の灯を消してしまったのだと思う。
その責めは負い続けないといけないと思っているし、
妹はそうやってポコが亡くなってからの時間を何年も送っている。

だけど、最後の最後まで笑顔でいてくれたこと、長く苦しい時間を過ごすことなく旅立って行ったことは
それだけポコもマリンも幸せだったんだとも思えて少し心が軽くなる。



☆☆☆ ☆☆☆



マリンへ

一番悲しいのはマリンだよね。
愛する人を残し、幸せな場所をあとに逝かなければならなかったマリンだよね。
辛い思いをさせて、悲しい思いをさせてごめんね。
守ってあげられなくて本当にごめん。


マリンへ

マリンがそばにいてくれるだけで私は元気になった。

マリンがいるだけで周りの雰囲気が明るくなった。








マリンの笑顔は周りの人を幸せにした。











じぃちゃんもばぁちゃんも私も。








ナオおばちゃんもあやもじゅんも。









みんなマリンが大好きだったよ。

「マリンちゃん、マリンちゃん!」

マリンはいつもみんなの輪の中で笑顔だったね。





そしてみんなも笑ってたね。





マリンも幸せ、私たちもみんな幸せだった。

マリンは私の自慢の娘。
マリンは私の誇りだよ。

私はマリンから人の一生分に値するほどの幸せを貰ったね。

マリン、たくさんの笑顔を、たくさんの幸せを、ありがとう。


マリン、大好き!





いつまでもいつまでも・・・マリン大好き!

この先何があっても、私の心の中のマリンは変わらない。





マリンが終生私に忠誠心を見せてくれたように、私を愛してくれたように。
私も生涯マリンを思い、愛し続ける。

これからも一緒だから。

ずぅっとずぅっと一緒だからね。


いつか必ず迎えにいくから。

その時まで私のそばでふわふわニコニコしていてね。






☆☆☆ ☆☆☆



チューリップの球根を買った。(まだ届いていないけど)
その数700個!

これだけあったら、花壇いっぱいにチューリップを咲かせられる。
ほんの少しだとなかなか切り花にする勇気が出ないものだけれど、これだけあったら惜しげなく切り花にできる。

マリンの周りを飾るため。チコやムーやポコのお墓に供えるため。
もちろんお仏壇にも。


今ほとんど空き状態で放置されている花壇があるので、ひとつはそこを耕して。
もうかちんかちんの土だと思うから大汗をかきそうだけれど。
それでも全部は植えられないと思うのでもう一つ自分でお庭の片隅を片づけて花壇を作る。
土作りから始めて花壇を作って・・・
相変わらずお散歩で歩いたところには行けなくてすっかり歩かなくなってしまったので、
お庭仕事で汗を流すのはいいと思う。
すでに少しずつ始めていて、チーリップの植え付け時期までには完成させようと思っている。

マリンは今おうちの中では普段使っていない仏間の続きの間で過ごしている。
マリンにとってはたまに通り抜けるだけであまりなじみのないお部屋。
最初はいつも眠っていた場所、と思いPC部屋に寝かせていたのだけれど、
たくさんお花をいただいたしお悔やみに来てくださる人もいらしたので、広いお部屋に移動してもらったのだ。
「マリンはここじゃ落ち着かないんじゃないかな」と、四十九日が終わったらPC部屋に戻すつもりだったんだけれど、
その部屋でマリンと静かに縁側の風景を見ながらのんびり過ごす時間が心地よくてそのままにしている。

けどそろそろ・・・お彼岸くらいまでにはPC部屋に戻すつもりなので狭くなってしまうけれど
マリンの周りが寂しくならないように。
春にはお庭で育てたお花でマリンの周りを飾りたいと思ってる。

頑張るぞ!



☆☆☆ ☆☆☆



最後に・・・

ホームページを始めたきっかけはお友達のぴよちゃんが現在の日記<マリンファミリーのダイアリー>の部分を
自分のサーバー内に作ってくれたことでした。

しばらくしてお友達のまりんママが「自分のホームページを作ったら?」と言ってくださり、
ホームページ作成のノウハウなどまったく持ち合わせていない私のために、時には朝から夕方まで受話器を握りっぱなしで、手とり足とり・・・。
ほんと大変でした。タグの意味もわからない。何にも知らない私でしたから・・・。

悪戦苦闘の末ようやくホームページが完成しスタートを切ります。

けどそれからもまだまだいろいろ大変。
何かあるたび、お友達に助けていただいて今日まで続けることができました。

ぴよちゃん、まりんママ、こーりんさん、ありがとうございました。


チコが縁でお友達になった方、マリンが縁でお友達になった方・・・
お友達が日本中にたくさん。
ネットをしていなければ得られなかったお友達です。

チコがご縁で知り合ったワンたちは皆もう旅立ってしまいました。
マリンが縁を結んでくれたワンたちはすでに旅立ってしまったワンもいれば、今もなお健在なワンもいます。

旅立っていったワンたちは、家族のお迎えをいい子に待っていてね。

今も元気なワンたちには成人式を目指して、幸せな時間をたくさんたくさん積み重ねていってほしいです。

ネット上だけではなく実際にお目にかかれたお友達も結構います。
遠路はるばる大阪にきてくれたお友達、こちらから会いに行ったお友達。
我が家に遊びに来てくれたお友達も。
どんな時もネットでいっぱいお話した後に「はじめまして」という時には全然「はじめまして」の感じがしなくておしゃべりが楽しかったです。

いつかマリンと一緒に会いに行きたい。
そう思いながらとうとう会うことが叶わなかったお友達もいます。
とても残念。



マリンとの日常を綴っていこうと思って始めたホームページ。


日記の更新は今日を最後にします。
(サイト自体はレンタルしているサーバーの期限が来年の春まであるので自然消滅まで多分放っておくと思います)

今日まで本当にありがとうございました。

良いご縁に恵まれ、楽しい時間を送ることができました。

心より感謝申し上げます。


最後に皆さまの未来が優しい光あふれる幸せなものとなりますことをお祈りしています。

愛するワンとの時間が末永く続いていきますように。





最後の最後にマリンからのご挨拶!
下の写真をクリックしてね。






コメントをいただいたお友達、全部拝読しています。お返事せぬままでごめんなさい。

そして、大量の写真、そして長文、最後まで読んでくださりありがとうございました。




■ピッピの母もうこれでお終いなのですね.....
もっともっと思い出話をきいていたかったですけれど、MARIN-MAMAさんが決心されたことですものね。
マリンちゃんが旅立って以来の日記を拝見していて、もう終わりにしようと思われたお気持ちも理解できましたし.....
寂しいですけれど仕方ないですね....。
長い間、ほんとうにありがとうございました。
マリンちゃんとMARIN-MAMAさんに巡り会えたことを、ワンコの神様がいらっしゃるとしたら心から感謝したいです。
マリンちゃんに会いたくなったら、ここに来ようと思いますが、それも来春までで消えてしまうのですね。
ほんとうに、ほんとうに寂しいです.....。
お父様のご健康のことも心配ですけれど、大好きだった
じいちゃんのこと、きっとマリンちゃんがお空から見守ってくれることでしょう。
どうかどうか穏やかな日々をお過ごしになれますようにお祈りしております。
MARIN-MAMAさん、ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。   by ピッピの母

マリンちゃん、「ずっとお友達のお約束」...憶えていますか?
友情の印のお洋服、大切にしています。
いつの日か天国で会えたらいいね。  
その時は仲良くしようね。   by ピッピ

..2011/09/07(Wed) 15:54 (2)

■Pippiママもうこれで最後なのですね。
とっても寂しいですがMARIN-MAMAさんが決められたことですものね、、受け止めようと思います。
ピッピちゃんのHPでPippiとお友達になってくれましたね!マリンちゃんの笑顔をここに見にくることがとっても楽しみでした。あの時のわくわく感を今でも懐かしく思い出します。
マリンちゃんやMARIN-MAMAさんからいただいたご縁、そしてたくさんのマリンちゃんの笑顔、、どれだけ元気をもらえたか・・本当にありがとうございました。
マリンちゃんとPippiとのご対面は叶わなかったけど犬見知りのPippiだからお空にいった時にはPippiのことをよろしく頼むね!マリンちゃん!
寂しいですが、、ほんとうにほんとうにありがとうございました。そしてお元気で♪♪
..2011/09/07(Wed) 21:18 (3)

■はな前回の日記からもうこれがの最後更新だって分っているのに・・・どうしてもそんな風に思えなくて。
でも、本当にこれで最後なんですね。

長い間マリンちゃんの笑顔や嬉し楽しのお出かけなどを沢山見せて頂いて、1度もお会いした事がなくてもマリンちゃんやMARIN-MAMAさんそしてご両親様をとっても身近に感じていろいろお話させて頂きましたよね。
これからそんな風に出来なくなるのがとても寂しいけれど、仕方ないんですね。
いつまでも忘れませんよ〜マリンちゃん、MARIN-MAMAさん、いっつも側に一緒に居るマリンちゃんを感じながらどうかお元気で居てくださいね。

お父様のご病気のこと、これから先もっと大変になるでしょうけど、極力1人で抱え込まずに周囲の力を借りて
乗り切って行ってくださいね。陰ながら応援しています。

いろんな思いを書きたいのですが、思うことが多すぎて
上手く書けません。
本当に長い間仲良くして下さってありがとうございました。ありがとうね〜。
..2011/09/08(Thu) 20:56 (4)

■まりんマママリンちゃんとの幸せな思い出だけでもう十分だよね
マリンちゃんが最後
まりんが最後
二人でいっぱい話ししたよね
前回のコメントの私の言葉足らずな部分補うね
マリンちゃんの存在が大きすぎ・・・
私たちの年齢も考えて、生活も考えて・・・わかってる

すべてわかった上で、最後だからあえてこれだけはいいたい

それでも、万が一、MARIN-MAMAが保護しないといけない子が目の前に来たとき
自分でもう飼わないって決めたから。宣言したんだから。マリンちゃんが・・・
とかの思いで、苦しまないでね。ってこと
すべては運命・・・
あの時の誓いは、Wまりんがもっともっとずっとずっと長生きして、私たちの未来もあまりなくなる時の話だった・・・

そんな日はこなくていい
けど、きたら受け入れることも片隅に少し残しておいてね。
MARIN-MAMAは優しいから・・・優しいのに頑固だから
いつかそんな時は自分を許せなくなるやろ、けど私はいいと思ってるってことだけ。マリンちゃんも許すはずだよ。MAMAの幸せが一番なんだからね。
それだけは言って最後にしたい・・・
こんな話、もちろんしたくてしてるんでない。まだこんな時にするもんではない
けど、これが最後になるから・・・ばか!仕方ないじゃん!!

マリンちゃん
なんで・・・?歩けなくなった。点滴してきた。入院すべきかこのままいるべきか。おむつは・・・ってもっとママを心配させて、もっともっと手を煩わせてあげてほしかった・・・
マリンちゃんは本当に、幸せだけをみんなにくれて、煩わしいことは一切なくて・・・親孝行すぎて。急にいなくなって一番の親不孝して・・・
つらいよーーー
こんなに大きな存在だから・・・
だから、これからが心配
これからがマリンちゃんにいてほしかった
心にいるけど、やっぱり触れて、笑顔で癒してもらわないとね。
一人で介護していくって、マリンちゃんがいないと頑張れないじゃん。
MARIN-MAMAは誰が癒してくれるん・・・
万が一、マリンちゃんがMAMAの為に、戻ってきたら・・・
また一緒に暮らしてね
今度はその子の為に頑張って生きれるように・・・
とにかくワンコ飼わなくても・・・絶対にMARIN-MAMAは長生きしないといけないから・・・ね!
マリンちゃんもMARIN-MAMAの心配してるよ
..2011/09/09(Fri) 12:16 (5)

■hamaMARIN-MAMAさんへ
最近コメント出来なくてごめんなさい・・・

この日記が最後だなんて、本当に寂しいです。
もうほのぼのマリンちゃんの写真も見ることが出来ないのかと思うと辛いです。
いつも安らぎをもらっていたように思います。

ほとんど毎日、日記を更新されて写真もいっぱい載せて見せてくれて、忙しい毎日の中でも手を抜かずに
皆に癒しをくれてたMARIN-MAMAさん。。。
いつも感心してましたぁ。
本当にお疲れ様でした。


何度も何度も言ってしまってるかもしれないけれど
マリンちゃんは、これ以上ないほどの幸せな生活を
送って、そして今はMARIN-MAMAさんとご家族の方を
近くで見守っているんですよ。
マリンちゃんの魂が近くにいるんですよ。
マリンちゃんは、MARIN-MAMAさんに「ありがとう!」って言ってるんですよ。

人間に人相があるように、動物にもその子の生活から
表情が現れるんだと思います。マリンちゃん、いつも笑顔で楽しそうな顔をしてましたね〜
精一杯生きて、いっぱい愛情もらって、いっぱい思い出作って、人生を全うして旅立ったんです。

MARIN-MAMAさんの心が癒されることは、とても難しいですが、でもマリンちゃんほど幸せな子はいないんじゃないかと思うくらい大切に大切にされてたと思います。
それだけは信じて欲しいですし、少しずつでも
お元気になっていって欲しいです。

MARIN-MAMAさん、本当にありがとう!
マリンちゃん、今までありがとう!
..2011/09/09(Fri) 19:32 (6)

■タローかあちゃん何年くらい前だったでしょうか・・・・Pippiちゃんのところからこちらに遊びに来させてもらいましたよね。

たくさんの言葉をかけてもらって、たくさんの力を貰って、写真でたくさんのところに連れて行ってもらって・・・本当にたくさんのありがとう。

いくらお礼を言っても言い足りないぐらいです。

MARIN-MAMAさんの本当の優しさをたくさんありがとう。
また会える日があればいいのになと思います。

MARIN-MAMAさん、お体を大切に元気でお過ごしくださいネ。

本当に、本当にありがとう。

..2011/09/13(Tue) 09:32 (7)

■Yokoとても寂しいです。
MARIN-MAMAさん、マリンちゃんと知りあうことができて私もニーナもとっても幸せです。

MARIN-MAMAさん、ゆっくりでいいから元気になってくださいね。
またMARIN-MAMAさんの優しい日記を読める日が来るといいなぁ、と思いつつ…
ありがとうございました。
..2011/09/13(Tue) 11:10 (8)

■紋次郎マママリンちゃんはすべてをわかっていたと思います。
MARIN-MAMAに迷惑かけないように・・。つらさも楽しさも一緒に感じていたから。
わんこを含むペット(言い方悪いですが)は家族の気持ちを察知する力もすごく強いと思います。

上手くいえないけど

マリンちゃん、ありがとう。
..2011/09/15(Thu) 00:44 (9)

■つまマリンちゃん、お疲れさま。ん?疲れてなんかないかな。
この世を、十二分に満喫したもんね。いろんなことを、ご家族としたもんね〜。楽しかったね!ご家族も、いっぱい幸せにしましたね!
マリンちゃんの日記は、これで終わっても、みんなの心の中では続いてるよ。MARIN-MAMAさんの新しい日記が、始まったら、マリンちゃんも一緒に見ようね。
..2011/09/16(Fri) 14:13 (10)

■らむここずっと言葉を探していてコメントできませんでした。
いまもまだ、どんなふうに書いたらいいのかわからないでいます。

こちらに遊びに来るようになってからの数年、マリンちゃんとご家族みなさんの笑顔の写真がいっぱい見られて、本当によかった。
この日記に流れている時間は、そのまま、わたしの家にも流れた時間です。
これからも大切にします。
ホントにありがとう。

..2011/09/18(Sun) 20:20 (11)

■ベリエご無沙汰してごめんなさい
来年の春でマリンちゃんのHPがなくなるなんて悲しいです
でも、MARIN−MAMAさんの決めたことなんですよね
マリンちゃんとMARIN−MAMAさんはベリエの憧れです
今でもマリンちゃんとMARIN−MAMAさんみたいな関係になりたいと思ってます
今まで本当にありがとうございました
マリンちゃんの優しい笑顔にたくさん癒されました
マリンちゃん、MARIN−MAMAさん、本当にありがとう☆
..2011/11/21(Mon) 21:28 (12)

■あっつぁんMARIN-MAMAさん、2014年になりましたね
いかがお過ごしでしょうか
あっつぁん、虎六は元気です
だいぶ時間が経ってしまいましたね
今、ろろちゃんとの時間を懐かしがりながら、マリンちゃんの記事を読みました
ろろが旅立ってもう10年以上も経ってしまったなんて
時間の経つのは本当に怖いくらい早いです
今、ちょっと頭を悩ませているのは、年末から家の周りをウロウロしている野良犬です
前足が骨折してるようで他の3本の足で歩いてます
できれば保護したいんですが、難しいですねー
エサを上げて少しずつ距離を縮めて…
でもリードをしようとすると逃げたり呻ったり
参りましたー
相変わらずワンコ漬けの日々を送ってます
気が向いたらメールくださいね
..2014/01/02(Thu) 14:35 (13)

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▼2011年 7月 1日 (金)   -- 投稿日:2011/07/01(Fri) 14:33   ... No.[1]

ありがとうございました





もっと早くにお礼とご報告をさせていただかないといけなかったのに、遅くなってしまってごめんなさい。

いただいたコメントにお返事もせず、申し訳ありません。


なんだかぼぉっとしているうちに1日が終わっていきます。


マリンが亡くなってしまったことはよくわかっているのに

マリンがいないことがわからない


そんな感じです。

いるような気がするのです。

いつもの通り、私のそばで寝そべっているような気がしてなんだか動けない。

さびしいとか悲しいとかそんな感情までもたどり着けていないような、ずっとあの時のまま時が止まってしまったような。。。


*** *** *** 


あの日

6月27日

ごく普通の朝でした。

5時40分頃、「おかぁさぁん、朝だよ」ってマリンが私のベッドサイドにやってきて起こしてくれました。

寝起きに牛乳を1杯飲む習慣のある私の隣でマリンは豆乳を飲みました。
もう何年も続いている朝の一こまでした。

そのあとお庭に出たマリンはお庭の奥まで小走りで駆けて行きまずう○ち。
そのあと戻ってきておしっこ。

母屋のカギを開けたら入って行ったので、私は身支度を整えるために離れにいきました。

ここまでもいつもの朝と変わりませんでした。

身支度を整えて母屋に行くと、勝手口のコンクリの上で待ってくれていたマリンが立ち上がって尻尾を振って。
一緒に母屋に入りました。

とても暑い日で室内はむっとしていたのでマリンに「ちょっと待っててね。窓開けるね。」
マリンは窓を開けて回る私の後ろをついて歩いていました。

そのあと、「お待たせ! 朝ごはんにしようね。」とその準備を始めた時、マリンが後ろ足から砕けたように倒れキューンとないてそりかえりました。

何が起こったのか・・・

大声で両親を呼びました。

1階で寝ていた父はその声にびっくりしてやってきてくれて、「これはいかんっ!」
マリンを何度も呼びながら、父は心臓マッサージを、私は人口呼吸をしましたが、マリンは戻ってきませんでした。

2階で眠っていた母は、途中でもう1度階段の下で叫んで起こしたのですがよく眠っていたようで間に会いませんでした。

午前6時30分〜40分頃です。



何がなんだかわからないまま、私はマリンを亡くしてしまいました。

思うことはいろいろあります。

けど、最後にはたったひとつ「マリンのことは私が守る」と硬く誓っていたのに、私はマリンを守れなかったという現実。

マリンは死ななくても済んだはず。
何かほんの少ししたことを見落とした、ボタンを掛け違えた、結果マリンは亡くなってしまった。

そんな気がしてなりません。

だって死んでしまうほど悪い状態ではなかったのだもの。
あの日だってニコニコでワンワン声も聞いたし尻尾も振っていたのだもの。
お庭をう○ちやおしっこのために走っていたマリンの尻尾はちゃぁんとピンと立っていたもの。



マリン、ごめん・・・
守ってあげられなくて、ごめん。

絶対に守りたかった、1番大切なものを私は失ってしまいました。



突然のことで、何の準備もなかった我が家。私は放心状態で何もわかりませんでした。(27日午前中にお電話くださったお友達・・・何を話したのかよく覚えていません。失礼があったらごめんなさい。)

訃報を聞いて駆けつけてきてくださった守男さんはドライアイス探しに奔走してくださり、そののちも何度も家に来てくださって、奥様もお悔やみに来てくださって、最後は霊園まで私の車を先導してくださいました。

妹も27日から29日まで午前中には我が家にやってきて日付が変わる頃までいてくれて、私がマリンと過ごせる最後の時間を最高のものにしようと心を砕いてくれました。
「お姉ちゃんの気の済むようにしたらいい。私はなんでも協力するから。」

姪っ子たちも学校が終わると我が家に帰ってきてくれて夜中まで。可能な限りマリンのそばにいてくれました。

じゅんはこの春浪人を決意。
そのため合格が決まったら一緒に行こうと言っていた旅行が1年先まで延びてしまっていました。
じゅんはマリンに会ってすぐに「マリン、ごめん・・・」
じゅんはあやよりもマリンとはよく遊んでくれていました。
いろんな思いがあったのだと思います。毎日長い時間マリンの前に座りマリンをなでてくれていました。

あやは6月12日〜13日の夜、夢を見たそうです。
先に亡くなった妹宅のポコがいて、マリンがいて。
ポコの表情は見えなかったけれどマリンは笑っていたそうです。
ただ私が泣いていたので「良い夢ではない」と思い黙っていたんだそうな。

13日はポコの命日で学校から帰ると私からの花が届いていてそのお花をポコのお墓に持って行ったときに妹が「ポコは全然夢に出てこない」と言い、その際「昨夜私の夢には出てきたよ。」とだけ言ったのだそうです。

葬儀の時、棺の中のマリンに私と妹が「ポコが待ってるからポコのところに行って私たちが迎えに行くまで待ってて。」と泣きながら話しかけるのを見て、夢が現実になってしまったと、辛くてたまらなかったと。
あの時夢のことを伝えていたらそのあとの展開が変わってマリンは死なずに済んだのではないかとすごく後悔していると泣いていました。

マリンが亡くなった直後はピンときていなかったのか、「ディ、休む?」と聞いたら「行く」と言い「行ってきます」と元気に出かけた父でしたが、その後だんだんと現実が飲み込めてきたようで、今はマリンのことを話そうとしては泣きだし言葉が続かない状態です。

母は最後に間に合わなかったこと、ここのところなんかいやな胸騒ぎがしてマリンのことを気遣うようになった私に小言を言ってしまったこと、いろいろ後悔しているようですが、ぼろぼろで何もできない私の代わってがんばって家事をこなし、私を気遣ってくれています。

みんな涙・・・



マリンの逝去につき、たくさんのお友達からお言葉やお花や・・・をいただきました。

順不同でご紹介させていただきます。

お悔やみにきてくださったお友達
まりんママさん、ねぇねさん、風花ママさん、クロスままさん、こーりんさん、タロー母さま


お花(等)を贈ってくださったお友達
Tomo姉さん、ぴよちゃん、まりんママさん、ねぇねさん、風花ママさん、tomodogsさん、BOSS母さん、ベリエさん、Nekoさん、Pippiママさん、クロスままさん、beさん、RUNさん、モモ母さん、こーりんさん、タロー母さま

そのほか、メールやお電話もたくさんいただきました。

お悔やみのお言葉をいただき、また残された家族をご心配くださりありがとうございました。
























































いただいたお花の1部はマリンの棺に納めさせていただきました。
そのほかのものは今もマリンの遺骨の周りを優しく彩ってくれています。


マリンはまだまだ生きるつもりだったと思います。
突然のことだったし、マリン本人も自分の身の上に起こったことを理解していないのではないかな。

食べることが大好きだったのに、朝ごはんの前に逝ってしまって、今も「おかぁさぁん、おなか空いたよ」って私のそばで言っているような気がします。

そんなに慌てて逝かなくても、我が家では家族みんなマリンは寝たきりになってもニコニコで我が家にいると思っていて、妹たちもそのためのことを考えていてくれていて、マリンが生きるための備えは万全だったのに。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。



あやの夢の中のマリンは笑っていたと聞いて・・・

マリンが今笑って過ごせているのなら、私はどんなに辛くてもさびしくても悲しくても構わない。

私はいつだってどんな時だってマリンの笑顔を守るためなら、なんだって大丈夫。

マリンが今、そしてこれから悲しいとか辛いとか思っていなくて笑ってくれているのなら、それで十分だと思っています。

もっともっと一緒にいたかったけれど、形は変わってしまっても「ずぅっと一緒!」なんだと思うようにしようと思います。


マリン
辛くない?さびしくない?悔しくない? 笑ってる?
守ってあげられなくて、ごめんね。



マリンが亡くなってから葬儀の日まで・・・たくさんの御心のこもったお花の中で過ごした3日間の時間。

人間であってもあれほど思いのつまったお見送りをしてもらえる人はそうそういないのではないか、と思えるほど清らかな時間でした。


おうちを出る時、私はマリンを抱っこしておうちを廻りました。「ぶぅぶに乗る時はいつも抱っこやってんから、今日も抱っこして乗せてやり」と妹が言ってくれ、重くて大変だったので手伝ってくれました。

マリンには最後に「また待たせてしまうけど、これが最後やから、いい子に元気に待っててね。元気に元気に待っててね。」っていつもの儀式。
いい子スイッチ ON! 元気スイッチ ON! とお鼻をぴとっ!


マリン

2011年6月27日 午前6時30分 永眠 享年15歳


今日まで仲良くしてくださったお友達のみなさん。
マリンのことを可愛がってくださったみなさん。

本当にありがとうございました。


<16時 追記>

マリン・・・

お花やさんがマリンにまたお花を届けてくださったよ。
ピッピの母さんとピッピちゃんからのお花だよ。

ピッピの母さん、ピッピちゃん、かわいらしいお花をありがとうございました。







*** *** ***




ここから先には亡くなってからのマリンの写真が含まれています。
不愉快に思われる方は見ないでくださいね。

でもとっても安らかなお顔をしているので、見てやってくださったらうれしいです。




マリン・・・ねんね














これは↓亡くなる数日前のマリンです。





こちらは昨年11月。氷ノ山に行った時のマリン。
ゆっくり写真を選ぶ余裕がなかったのですけど、これを遺影にしました。










■ツつゑソスマリンちゃん、お鼻にいい子スイッチ ON!してもらったんだね。大丈夫、いつものようにいいこだものね。なんにも心配いらないね。
青いあじさいが、とってもきれいです。マリンブルー。
..2011/07/01(Fri) 15:11 (2)

■つまなぜか、妙な名前になっていました↑
あやしい者ではありません(汗)
..2011/07/01(Fri) 15:12 (3)

■ベリエMARIN-MAMAさん、日記を更新してくださってありがとう
心配してました
辛くて更新できない・・・って分かっていても心配でした。体調崩されてませんか?ご家族の皆様も大丈夫でしょうか?
大切なマリンちゃんを失った悲しみは計り知れないと思います
マリンちゃん、普通の朝だったのに・・・
この日が永遠のお別れになるなんて悲しすぎます
でもね。MARIN-MAMAさん、自分を責めないでください
自分を責めたらベリエが悲しくなります
きっと、MARIN-MAMAさんのお友だちも同じ気持ちだと思います
マリンちゃんも「お母さん、ありがとう」って言ってお空に登ったと思います
マリンちゃん、普通に寝んねしてるみたいです
とっても穏やかな表情です
「マリンちゃ〜ん」って呼んだら「ワン」って起きそうです
地震後のMARIN-MAMAさんとの電話中に電話口の向こうから「ワン!」って挨拶してくれたマリンちゃんの声を思い出しました
たくさんのお花に囲まれたマリンちゃん、お花畑に居るみたいだよ
天国もお花畑みたいなのかな?
天国からMARIN-MAMAさん、じぃちゃん、ばぁちゃんを見守ってくださいね

..2011/07/01(Fri) 22:18 (4)

■ベリエマリンちゃんとお友だちになれてベリエは嬉しかったです
マリンちゃん、大好き♪
今まで可愛い笑顔をありがとう
天国でゆっくり休んでくださいね
..2011/07/01(Fri) 22:20 (5)

■Nekoマリンちゃん本当に穏やかなお顔で眠っているだけみたい。
大好きな方たちに囲まれて旅立っていったのですね。
本当に幸せな15年間でしたね。
たとえ病気になって看病したり歳をとって介護の日々ののち見送ったとしても
もっとこうすればよかったああすればよかったのかもと後悔は尽きないものなんでしょう。
マリンちゃん、ちょっと急ぎすぎちゃったけど
これからはMARIN−MAMAさんがどこにいても何をしていても
しっぽフリフリずーっと一緒にいられるんだね。
私もマリンちゃんのことずーっと忘れないからね。
..2011/07/01(Fri) 23:31 (6)

■モモ母マリンちゃん、ほんとにとても幸せそうな穏やかなお顔。。
MARINN-MAMAさんご一家の子どもになれて、ずぅっとずぅっと一緒に過ごせて、マリンちゃん、ほんとに幸せな毎日だったんだなぁ、て、この表情からだけでもじゅうぶんに伝わってきます。
MARIN-MAMAさん、どうか、自分を責めたりしないでください。
いつもマリンちゃんのことを大切に思っていて、どうしたら気持ちよく過ごせるかな、元気に過ごせるかな、ニコニコさんで過ごせるかな、て考えてくれていたことを、マリンちゃんはちゃあんと感じていて、だからいつも安心してニコニコ笑顔で過ごせていたんだと思います(*^_^*)。
お父様お母様も、姪っ子ちゃんも、きっと、皆さんそれぞれに悲しさがつのってお辛いと思います。
蒸し暑い最中だし、どうか、皆さん体調を崩されませんように。

マリンちゃん、どうかお空からお母さんたちを見守っていてあげてね。
ゆっくりねんね、おやすみなさい。
..2011/07/02(Sat) 09:43 (7)

■tontonお久しぶりです。
マリンちゃんがお空に旅立ったなんて。。。
あまりに突然で・・・。

マリンママさん、大丈夫。
マリンちゃん、今までも、今も、これからも・・
ずっとず〜〜っと幸せいっぱいに笑ってますよ。
大好きなマリンママさんにこんなにも愛されて、家族に囲まれて。。。たくさん、たくさん愛されたんだもん。
幸せに決まってます。
ねんねのお顔・・・本当に安らかで微笑んでるみたいです。

マリンちゃん。
マリンちゃんは本当に幸せな子だね。
私、マリンママさんとマリンちゃんの幸せな日々の
様子を日記で見ては、ほっこりして気持ちが温かくなってたよ。
まるで、ハッピーな気持ちのおすそ分けをしてもらってたみたい。
マリンちゃん。ありがとう。
..2011/07/02(Sat) 19:24 (8)

■hamaマリンちゃん、目がうっすらあいててお昼寝してるみたいな穏やかな表情をしてますね。これは本当に安らかな眠りについたということです。苦痛なく眠りについたということですよ。
大好きなおうちで、大好きなMARIN−MAMAさんのそばで穏やかな眠りについたんです。
マリンちゃんは、この15年間をいっぱい大事に育ててもらって満足してる表情をしてます。
MARIN−MAMAさん、お辛いでしょうけれど
ご自分を責めないで下さいね。

眠りについたマリンちゃんの写真・・・そして元気だった頃のマリンちゃんお写真を見て、私は涙が止まりません。きっとMARIN−MAMAさんは、もっともっとお辛い思いをされてるんだと思うと、胸が痛みます。
本当に命って切ないですね。そして動物はある意味、
人間以上に切ないです。

どうぞご両親もMARIN−MAMAさんも
1日も早く、お元気になられることをお祈りします。
早く、マリンちゃんに笑顔を見せてあげて下さいね。
ご冥福をお祈りいたします。。。
..2011/07/02(Sat) 19:39 (9)

■こうじみそマリンちゃん、マリンちゃん
寝んねなの?
マリンちゃんのお耳が好き
マリンちゃんのまんまるお目目が好き
マリンちゃんのしっぽが好き
マリンちゃんの元気スイッチお鼻が好き
マリンちゃんの全部が好きだよ
寝んねんよ
ゆっくり寝んねんよ
また会える日まで・・・

MARIN-MAMAさん
最近PCをさぼってブログもケータイからUPしてたので
マリンちゃんのこと、全然知りませんでした。
マリンちゃん、良いお顔してますね。
MARIN-MAMAさん、ご家族の皆さん
悲しみはどれほどかと思います。
どうかお身体に気を付けてくださいね。
..2011/10/13(Thu) 09:35 (33)

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▼2011年 8月28日 (日)   -- 投稿日:2011/08/28(Sun) 20:44   ... No.[15]



27日は二度目の月命日。





マリンの姿が家の中から消えて2カ月が過ぎた。

ようやくふとした瞬間にマリンの姿を探すことがなくなった。

マリンと言えば、遺骨と遺影のある場所、になってきた。

慣れたのかもしれないけれど、そんな自分がたまらなく悲しい。





今でも朝起きてすぐ、お昼ご飯の後、お茶の時間、晩御飯の後・・・時間があれば日に何度でもマリンの遺骨と遺影の前でぼんやりとお線香の煙とお花を見て過ごす。

夜テレビを見る時には自分のそばにマリンの遺骨を持ってきて片手で抱えて見ている。

お風呂に入る時には「マリン、お風呂に入ってくるね。待っててね。」って声をかける。マリンが生きていた時と同じ。

夜寝る時にはマリンの遺骨も離れの私の部屋に移動する。
「マリン、お待たせ!ねんねに行こね。」って言いながら。
以前と同じ。





マリンの遺骨は遺骨であって、マリンの魂がその中にあるとは思わないのに、それでも何か触れるもの、見えるもの、で納得しようとしているのか、そばにおいておきたい、と思う。





この前、ダンボくんのお父さんとお母さんが用事があってこられた時、「少しは元気になられましたか?」って聞かれた。

元気にはならない。当たり前だけれど・・・

けど普通には暮らしている。泣き暮らしているわけじゃない。

日によって気分にムラがあり、たまらなくなって夜中に泣いていたり、写真を見ていたら涙が止まらなくなったり、そんな日もある。

けど、高齢者を抱える身ではじっと悲しみの中に沈み込み続けているわけにはいかないので、それなりに暮らしている。





「お花をありがとうございました。まぁまぁなんとか暮らしています。」って言ったら・・・

ダンボくんのお父さんが「また犬を飼いはるんやったら世話しまっせ。知ってるトコがあるんですわ。」って話し始められた。

一瞬にして私の表情が固まったんだと思う。

ダンボくんのお母さんがすかさず「そんな無理やよね。マリンちゃんは○○ちゃん(私)にとっては我が子同然やってんから。まだそんなに日もたってないのにね。我が子を亡くしてすぐに養子をもらおうって思う人なんておれへんよね。」って助け舟を出してくださった。

助かった、と思った。





愛犬を亡くしてすぐに新しい犬と暮らせる人もいる。

だけど・・・私は無理。

理由はいろいろあるけれど、今の私は何より心ががほかの犬を受け入れようとしていない。

もしも今犬が我が家に来て、マリンが寝そべっていた場所、マリンがくつろいでいた場所、走り回っていた庭・・・をわがもの顔で満喫していたら「どいて!そこはマリンの場所!」

許せないと思う。

この家もこの庭もマリンのものだ。

ずっとずっと・・・少なくとも私がそう思っている間はここに暮らす犬はマリンしかいない。





この前お買い物に行ったら、生サンマが売っていた。
北海道で獲れたものだそう。
初物だな。

マリン、サンマが大好きだったよな。

そう思ったら、サンマとしたら少々お値段が高いように思ったけれど買ってしまった。





マリンはサンマが大好きだった。

お庭で炭火でサンマを焼いている時なんて「マリン、危ないよっ!あちちやよっ!」
しっかり見張っていないと炭火に顔をひっつけてサンマをひっくり返す時に飛び散る脂を舐めようとするので危ない!危ない!
ひやひやした。





マリンの晩御飯のメインディッシュにもサンマはよく登場した。
青いお魚はたいてい大好きだったけれど、サンマはとびきり好きみたいだった。

いつも半分。

残りの半分をテーブルの上に置いておくと、マリンはフンフンフン。テーブルを見上げ「まだここに残ってるよ。食べたいです。」って必死でアピールしていた。

「マリン、もう食べたやろ?これはまた今度ね。」

いつか丸ごと1匹、「ほぅらマリン!サンマ! 好きなように食べていいよっ!」って・・・いつか丸ごと1匹マリンにサンマを食べさせてあげたいなっていつもいつも思いながら肝臓の悪いマリンに過剰なタンパク質はよくないと思って、悪化させるのが怖くてあげられなかった。

こんなことになるのなら、食べさせてあげたらよかった。

マリン、すごく喜んだだろうな。

想像すると・・・嬉しそうにがつがつ食べるマリンの姿が目に浮かぶ。





妹がこの前「私ね、ポコの若い時の写真の顔より年をとってからのポコの顔のほうが好きやねん。」って言った。





私もそうだ。

子犬の時のマリンの顔より、若い頃はつらつとしていた頃のマリンの顔より、10歳を過ぎたマリンの顔のほうが好き。





写真で振り返ると少しずつお顔が白くなっていっているのがわかる。
そしてどんどん表情の中に見える優しさ穏やかさが増していっているのがわかる。

10歳を過ぎてもマリンはお転婆で元気に走り回っていたけれど、それでも精悍さはどんどん消えていっていてその代わりに穏やかで優しい深みの増したお顔になっていった。





私の心の中のマリンのお顔も晩年のマリン。

じっと見つめあうその目もその顔も晩年のマリンの目、晩年のマリンの顔。

いつも口角が笑ってる。
お山で何かをじっと見つめている時でもマリンの口角は笑みを含んでいて、そんなマリンの顔が大好き。

きっとたくさんのたくさんの優しさを心に持っていたからあんなに優しい深みのあるお顔ができたんだろうなって思う。





老いた人間は、年を重ねた人間は・・・なかなかあんな風にはなれない。
老いてあんなに深みのある穏やかなお顔をしている人を私は見たことがない。

私もたぶんなれないんだろうな。

マリンみたいな可愛らしいおばあちゃんにはきっとなれないと思う。

人より犬は純粋で心が綺麗だから、あんなに素敵に年を重ねることができるんだろうなって思う。





風花ママさんがお悔やみに来てくださった時、「老犬のかわいさは格別やろ。」っておっしゃっていた。

そうなんです。

ほんとにそう。

子犬の可愛らしさなんて足元にも及ばない。

ほんとにほんとに心の底から愛おしい。

今も・・・そしてこれからも。

マリンは世界中で一番愛おしい私の一人娘。





マリンに会いたい。

2カ月たってもそう思う。

マリンともう1度暮らしたい。

2カ月たってもそう思う。

たとえば1カ月だけでもいいから、もう1度暮らしたい。

もしも叶ったら・・・サンマを丸ごと1匹食べさせてあげよう。

アイスクリームも「おでかけの時だけ!」なんてケチなことは言わないでおうちでも半分こして一緒に食べよう。

目と目を合わせていっぱいマリンとお話しよう。

「おかぁさん、いい加減にしてよ」って言われてもなでなでしてお耳を触ってお顔を触って背中を触っておなかを触って・・・





マリンと暮らした15年・・・

ほんとにほんとに幸せだった。

マリンを幸せにしてあげたくてがんばっていた私だけれど、私がマリンに贈った幸せより、私がマリンからもらった幸せのほうがずっとずっと多いよね。











マリン、お目目とお目目を合わせてお話しよっ!





これからは心のお目目を合わせる練習を重ねて行こう。

少しずつ上手になって、心のお目目でも<あうんの呼吸>ツーカーの関係に。

まだまだ続くね。

マリンと私の時間。

まだまだ修行の毎日だね。



☆☆☆ ☆☆☆



これからのマリンと私。

心の目でお話するようになります。

写真は2009年の11月末くらいまで振り返りました。

最後の1年半分はゆっくりゆっくり時間をかけて静かに振り返りたいと思っています。

直近のものはまだ見る勇気がないので、いつ見られるようになるかわからないけれど・・・


心の目で、心の中で、マリンと暮らしマリンと話す。

もう日記に綴ることもないでしょう。

次の更新を最後に、10年あまり続けてきたホームページを終わりにしようと思っています。

10年以上も・・・よく続いたものです。

マリンがそれだけ毎日笑顔を、楽しい時間を私たちに届けてくれてきたから、ですよね。

主役のマリン、良く頑張りました!

最後の最後まで笑顔でしっかり生き抜きました。


あと1回。

マリンファミリーの楽しかった時間を振り返って日記を書きます。

最後のご挨拶はその時に。





■紋次郎ママお久しぶりです。なんとなく久しぶりに覗いてみたら・・・。びっくりしました。
一度覗いたときは元気にお出かけしていたので本当に驚いています。
父のことがあってから㏋のほうはご無沙汰でしたが、マリンちゃんが教えてくれたのかもしれないですね。
日記を閉じる前で本当によかったです。

みんな年をとったよね。半年前にyokoさんのはなこちゃんも亡くなりました。紋次郎ももう11歳。ロング散歩を嫌がりますが元気にしています。

マリンちゃん、ありがとう。教えてくれて。そして私たちを会わせてくれてありがとう。またそちらで集合することがあると思うから、待っていてね

MARIN-MAMAありがとう。私に犬と暮らすことについて、いろいろ教えていただきました。本当にありがとうございます
..2011/08/29(Mon) 22:11 (16)

■Nekoそうですか、HP閉じられるのですね。
寂しいなぁ。
マリンちゃんは私にもいっぱい笑顔を届けてくれたよ。
マリンちゃん、MARIN−MAMAさんありがとう。
いつかね、私もらんちんもお空へいくから一緒にお散歩しようね。
その時はらんちんとガウリンしないで仲良くしてね。
..2011/08/31(Wed) 08:30 (17)

■モモ母マリンちゃん、今日も可愛いね。
「なあに?」て振り向いたお顔、にっこり笑ったお顔、ルンルルルンと走る姿・・しっぽがクルリ〜ン、とっても楽しそう(*^_^*)。
MARIN-MAMAさん、ホームページを閉じられてしまうの?
マリンちゃんの笑顔に会えなくなるの、寂しいなぁ・・
元気をもらいたくなったら、マリンちゃんのお顔を見に来たいなぁ・・て・・ワガママ言っちゃった。。

マリンちゃん、あなたの無垢な愛らしさ、おばちゃんも大好きやよ。
いつも、どこでも、楽し&嬉しを探しだせる、そのヤンチャさも。。。
モモも11歳を過ぎて、お顔がだいぶ白くなって、走るのが遅くなったりお昼寝の時間が長くなったり・・・まったり過ごすことが多くなったよ。
まだまだとらボンをひっくり返してガルルンしてるけどね。
いつか、そんなモモちょんも、とらボンも、私も、お空へ行くから、その時はいろいろな「うれし」「たのし」を教えてね。
..2011/08/31(Wed) 11:21 (18)

■Yokoとってもとっても寂しいです。
ニーナが我が家に来る前からずっとMARIN-MAMAさんの日記を拝見してて、もう8年にだったのですね。
ニーナが来た時に「マリンの子犬の時とそっくり!」ってマリンちゃんの写真を見せてくれたのはも8年も前のことなんだ…ついこの前のような気がします。
マリンちゃんの笑顔とMARIN-MAMAさんの優しい日記が大好きでした。
もし、もし、、またHPを再開されることがあったら知らせてくださいね。
..2011/08/31(Wed) 13:25 (19)

■tonton私がPCでインターネットを始めたころ。。もう何年前かなぁ。
慣れない手つきでキーボードをたたき、わんこのホームページを探しました。
そこで、見つけたのがマリンちゃんのHPでした。
マリンちゃんの可愛いこと!マリンママさんの愛情たっぷりのお話。すぐにこのホームページが大好きになりました。マリンママさんの日記の更新が楽しみでした。

それからしばらくして・・マリンママさんとお話できるようになって。。とっても嬉しかったです。
ホームページを終わりとのこと・・本当に寂しいけど・・
マリンママさん、マリンちゃん、どうもありがとう。
..2011/08/31(Wed) 15:30 (20)

■まりんママすーーっごくわかるよ
すべてマリンちゃんの!!
レインがきてもう5年にもなるのに、レインは可愛そうだけど可愛がることはできない・・・
まりんが可愛そうで、レインを抱くこともできない、呼ぶときも甘い声は出せない・・・
まりんだけがママの赤ちゃんだからね・・・っていつもレインに言って・・・
レインが可愛そうだけど、まりんは私が求めた子で私はまりんを裏切れない
レインがいることで、まりんが嫌な思いをしているから・・・レインがきた年の冬の初め、まりんは喘息になった。しばらくしてハゲができた
こんなのまりん可愛そうで・・・

けど、レインも可愛そうな子だ・・・

MARIN-MAMA・・・
すごくわかるよ マリンちゃんは宝物 マリンちゃんが嫌がることはしないし、したくないし

今、確かに他の子を・・・なんて言いたくもないし聞きたくもないよね

でもね、忘れないでよね・・・
今までいろいろあったよね
お友達の不幸をみんなで乗り越えてきたよね
あのとき、二人で話ししたこともあったよね
「今は言えないけど、いつか他の子と出会えて元気になってくれる日がきてほしい」

わかってね
私は他の子を勧めてないよ
けど、MARINーMAMAは保護された子を引き取れるものなら・・・って思ってた優しい人
万が一、そんな出会いがあったときに
自分を責めないでね
いや・・・責めていい。けど、不幸な子を救ってあげてほしい
マリンちゃんとMARIN-MAMAが出会わなかったら・・・マリンちゃんはこんなにも幸せではなかったでしょう
いつかマリンちゃんがまたMARIN-MAMAと出会えたら・・・
待っているかもしれないし、MARIN-MAMAが自省して苦しむのをマリンちゃんはどう思う?
ごめん
けどね。。。
二人で約束したでしょ
こんなときが訪れたら嫌なことでも言うよ!って
私のこと嫌ってもいいよ
けど、叱るのは私の役目
こんなに早くHP閉じるなんて言うから
ここはMARIN-MAMAの大切な思い出たっぷりの場所だよ
このまま、ずっと苦しまないでね
..2011/08/31(Wed) 19:00 (21)

■はなこの次の更新を最後にHPを閉じられること、もう決めちゃったんですか?
本当にそうなるって俄かには信じられない思いです。
ピッピちゃんを通じて仲良くして頂いて、もう随分長い月日が過ぎて・・・
マリンちゃんの日常の中で溢れる笑顔とお出かけ先の弾ける笑顔、そして、MARIN-MAMAさんの細やかな愛情たっぷりのお話、全部がとても好きだったのに・・・
沢山のお花の写真も夕焼け風景の写真も時々の鳥さんの写真も共通の話題がいつもあって・・・
いろんなお話まだまだしたかったのに・・・
とてもショックです。後一回だなんて!

先日のお花は白とピンクとどちらにしようかと迷ったのですが、マリンちゃんにはピンクが絶対にお似合いだと思って、あえてそうさせて頂いたの。
MARIN-MAMAさんのお気持ちにも添えて良かったです。
..2011/08/31(Wed) 20:19 (22)

■らむここここに遊びに来るみんなが、MARIN−MAMAさんとマリンちゃんのこと、大好きです。
悲しみを肩代わりしてあげることも、つらさを減らしてあげることもできなくて、ごめんなさいね。
この日記はMARIN−MAMAさんとマリンちゃんのものですものね。
大切だよね。
だけど、やっぱりすごく悲しいです。
..2011/09/02(Fri) 11:54 (23)

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